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阪大の先生㉒廣田誠さん 戦後日本の経済史

中学時代から鉄道に興味を抱き、それが鉄道経営者の研究にもつながった。「本当はゆっくり鉄道旅行もしたいけど、最近は忙しくて全然行けてない」と苦笑いを浮かべる

 日本は今なお世界有数の経済大国だ。そうなったのは、勤勉な国民性や画期的な技術力にもよるが、大阪大学経済学部の廣田誠教授は、それらに加えて、流通・サービス産業の発展が果たした役割を評価する。
 廣田さんの専門は、戦前から現代までの経済史だ。豊中市史でも経済史分野の編集に関わり、庄内地区の商業施設の変遷などをまとめた。「昭和39(1964)年、ダイエーが日本で初めてのショッピングセンターを作ったのが庄内。いろいろ実験的な試みがなされ、昭和の流通史を語る中でも重要な場所」と話す。
 4月に著した「日本の流通・サービス産業-歴史と現状-」(大阪大学出版会)では、戦後のサービス産業の1つとしてプロ野球史を大きく取り上げている。「プロ野球の球団史は、そのまま日本の産業史。戦後すぐは鉄道会社や映画会社がオーナー企業となり、やがて食品会社が多くなる。今は情報産業を扱う会社が増えた。本拠地が地方へ分散していったのも、時代の流れを表している」という。ちなみに廣田さんもプロ野球ファン。ひいき球団は中日ドラゴンズだそうだ。
 今は大阪商工会議所が運営する大阪企業家ミュージアム(大阪市中央区本町1)の、デジタルアーカイブ作成作業に追われている。最近は日本ハムの創業者・大社(おおこそ)義規を担当した。「徳島の小さな会社を、シェア日本1の大企業に育てあげ、プロ野球の名物オーナーにもなった。松下幸之助や安藤百福などにも共通するが、彼らの理念や言葉を伝記としてまとめていく作業は、本当におもしろい」と話す。しかし、大阪に縁のある彼らは皆、大阪出身ではないことに気付いた。「大阪という街は、何でも受け入れる街。だからよそから来た人も成功を収められる。戦前に『大大阪』を作り上げた当時の市長、関一も静岡の出身だ。大阪生まれ、大阪育ちの起業家も頑張ってほしい」とエールを送る。
 最近の大阪の経済トピックスとして、梅田や阿倍野の大規模再開発事業について尋ねてみた。あんなに大きな商業施設が乱立して、商売は成り立つのだろうか。廣田さんは「成り立つ」とうなずき、「ただし、大阪だけを見た場合ですが」と続けた。「豊中や高槻などの周辺都市だけでなく、京都や神戸からも客を吸い取って、大阪は繁栄する。最近は夜行バスで四国や北陸からも大阪へ買い物に来ている。でも、大阪だって同じことを東京にされる可能性は常にある」
 経済学は理論と政策と歴史から成る。過去を見て未来を知る経済史の視点から、廣田さんは日本を見る。(礒野健一)

更新日時 2013/07/11


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