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阪大の先生⑱入谷秀一さん 本当の自分の物語

インタビューをした池田市石橋のカフェJiJiは、入谷さんお気に入りの場所の1つだ。3月に「かたちある生-アドルノと批判理論のビオ・グラフィー-」(大阪大学出版会)を著す

 哲学の楽しさは、その細やかさにある。「パズルを解くように論理を展開し、それこそ重箱の隅をつついて穴を空けたところから、一気に世界が広がる感覚が気持ちいい」と語るのは、大阪大学大学院文学研究科助教の入谷(にゅうや)秀一さんだ。
 岡山県総社市で生まれ育ち、中学生になると小説から思想書までを濫読した。「当時のアイドルなどは全く興味がなかったし、そんな消費文化が気持ち悪くてたまらなかった」という。大阪大学に進学後はハイデガーを研究し、やがてアドルノへと対象を移した。「ユダヤ系出身のアドルノは、ナチスから逃れるためアメリカへ亡命した。確固としたものがない身寄りのなさは、他人の評価が重要でありながら、その評価が果たして正しいかどうか不透明な今の時代に通じる。共感する部分は多い」と話す。
 「人は自分の物語を他人に話し、評価を受ける。しかしその物語は、どこまでが自分の作ったもので、どこからが他人によるものなのか?」と、入谷さんは問い掛ける。考察の事例を挙げるならば、学生の就職活動だ。面接で語る、いかに自分がその会社に入るよう運命付けられているかという物語は、本当に自分の物語なのだろうか。「それは、他人の眼差しを意識した、就職のために作った仮面の物語。しかし、運良く仮面が採用されれば、それが本当の自分の物語になっていく」。数ある自伝や伝記も、そういった仮面の自分を語ったものではないか。そんな視点から、今の入谷さんが最も興味を抱くのが、三島由紀夫だ。「彼は小説に書いた理想像が自分になっていった典型。デビュー作が『仮面の告白』というのは、意味深だ」。
 小学生の塾講師もしているが、「他者からの評価という意味では、勉強ほどスッキリと分かりやすいものはない」と話す。一方で大人社会の評価基準は、「かなりブラックボックスな部分が大きい。あれは僕にとって精神衛生上、非常によくない」と苦い顔だ。しかも、先行きがどうなるか、それもブラックボックスの中に入った時代である。「僕自身の将来もどうなるかわからない。その、どうなるかわからない不安の中で、物を考えていきたい。ポジションが安定したところから物を言っても、あんまり共感得られないでしょ。それが今の哲学者の使命かもしれない」。入谷さんは思索を続ける。(礒野健一)

更新日時 2013/03/14


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