阪急ものしり帳(28) 箕面有馬電車唱歌
阪急電鉄の前身、箕面有馬電気軌道は1910年3月10日に創業したが、その直前に「箕面有馬電車唱歌」を作り、宣伝用パンフレットとして配った。豊中市蛍池東町2、吉村和利さん宅にはそのパンフが残っていて、見せてもらった。
パンフは2つ折りで、内側の見開き面は上部に五線譜を載せ、下は1番から15番までの歌詞が印刷されている。歌詞には駅名と、沿線の風景や名所が織り込まれ、駅名はゴチック体で書かれている。
1番は「東風(こち)ふく春に魁(さきが)けて開く梅田の東口 往来(いきか)ふ汽車を下に見て北野に渡る跨線橋(こせんきょう)」。吉村さんは鉄道ファンで、「当時、梅田駅を出発すると、北野駅、新淀川駅と続いた。旧国鉄の貨物線の上を通ったので、『汽車を下に見て』となった」と説明する。
歌詞は石橋から箕面へと移り、また石橋に戻って、最後は宝塚で終わる。5番は「名も高台の岡山に芦田ヶ池の水鏡 霞の中に岡町をすぎて若葉の麻田山」。岡町の次の駅は、「麻田」となっている。開業当時、豊中駅はなかったから、その次は蛍池のはずだ。吉村さんは「歌ができた時には駅名が決まっておらず、仮の駅名で『麻田』としたが、開業時には蛍池という正式駅名が決まった」と解説する。(編集長・梶川伸)
=地域密着新聞「マチゴト豊中・池田」第60号(2014年2月14日)
更新日時 2014/02/01