豊中運動場⑰ 日本オリンピック 新記録が次々に誕
1913年10月に豊中運動場で開かれた日本オリンピック大会は、日本初の陸上競技大会だった。現在の日本陸上競技選手権大会につながる第1回陸上競技会(大日本体育協会主催)は、翌月の11月に東京・陸軍戸山学校運動場で開催されている。日本オリンピックが関西の選手中心だったのに対し、第1回陸上競技会は首都圏の選手が中心になった。
日本オリンピックが国際五輪を意識して競技種目や競技方法を実際の五輪に合わせたのに対して、陸上競技会では15里(約59キロ)走や立ち幅跳び、立ち高飛びといった種目があり、国内体育大会の様相が強かった。
当時は公式大会で公式記録をとるというシステムがなかったため、日本オリンピックと陸上競技会の記録が当時の日本陸上の最高記録だった。日本オリンピックでは100メートル走や800メートル走、走り高跳び、棒高跳びなどで日本新記録が出たことになる。第1回陸上競技会の記録と比べて全く遜色ない。大会期間中、雨天に悩まされてグラウンドコンディションが必ずしも万全でなかったことを考え合わせたら、豊中運動場で繰り広げられた熱戦のレベルの高さがよくわかる。
ただ、世界的に見ればその差は大きかった。1912年のストックホルム五輪の優勝記録に遠く及ばない種目がほとんどだった。しかし、200メートル障害ではストックホルム五輪の優勝タイムに1秒差まで詰め寄る好記録を上げている。五輪での好成績を目指し、優秀な選手を発掘したいという日本オリンピックの開催趣旨は十分に達成された。
豊中運動場にとっても日本オリンピックの開催は大きな意味があった。それまでは野球の大会が中心だっただけに、全国から注目を集める陸上競技のビッグイベントの開催は総合グラウンドとしての豊中運動場の認知度を飛躍的に高めた。
主催者発表で観客は初日5万人、第2日7万人、最終日10万人とされたが、いくらなんでもこの数字は水増しが過ぎた。唯一の交通手段だった箕面有馬電気軌道の輸送力と豊中運動場の規模を考えれば、選手や関係者も合わせて1万人が限界。せいぜい7000~8000人程度だったと思われる。それでもスポーツ大会にこれだけの観客が集まるのは画期的なことだった。(松本泉)
◆3大会の各種競技の記録
日本オリンピック 第1回陸上競技会 ストックホルム五輪
100メートル走 12秒2 12秒 4 10秒8
200メートル走 26秒1 25秒25 21秒6
800メートル走 2分14秒6 2分14秒 7 1分52秒4
5000メートル走 17分22秒1 16分54秒 14分36秒6
200メートル障害 24秒8 なし 23秒6
走り高跳び 1メートル60 1メートル47 1メートル95
棒高跳び 3メートル04 2メートル38 3メートル88
砲丸投げ 8メートル63 9メートル 15メートル54
=2014.02.03
更新日時 2014/02/03