阪急ものしり帳(26) 宝塚線の高架化
阪急宝塚線には、線路が地上を走る区間と高架の区間とが入り混じっている。阪急広報部によると、高架率は36.6%。阪急全体では17.2%なので、高架化が進んでいることになる。
豊中市、池田市では、石橋駅から池田駅の間の一部が1996年12月14日に開通したのが最初だった。曽根駅の南から岡町駅、豊中駅を経て蛍池駅までの高架には、長い経緯がある。豊中市史などによると、阪急電鉄は1948年に宝塚線の複々線化の認可を受けたが、実現の見通しがつかなかった。しかし、踏切での待ち時間は深刻な問題となった。1970年に豊中市が調査すると、午前8時から9時の1時間で、曽根駅北側の踏切では踏切閉鎖時間が38分にも及んだ。
このため、複々線化をあきらめ、連続立体交差化を目指すことになった。1978年に都市計画設定され、事業費については国62%、大阪府20.6%、豊中市10.3%、阪急7%の負担比率も決まった。
本格工事は1983年に着工。上り新線の開通は1994年11月6日だった。翌年の阪神大震災が起きたたこともあり、下り線の工事が遅れ、全面開通したのは2001年3月31日になった。
総工費は約560億円。14カ所の踏切が撤去された。(梶川伸)
=地域密着新聞「マチゴト豊中・池田」第58号(2013年12月12日)
更新日時 2013/12/04