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阪急ものしり帳(29) 乗車券あれこれ

吉村さんが集め、残している阪急の乗車券、定期券の一部

 豊中市の吉村和利さん(蛍池・遊びのプロジェクト会員)は鉄道ファンで、阪急電鉄に関する古い資料を持っている。その中の乗車券を見せてもらった。
 写真の左下の方は、自身が使っていた定期券で、移り変わりが分かる。真ん中の2枚は、昭和56(1981)年のもの。「梅田」の「田」が独特の文字で、「口」の中が「十」ではなく「×」になっている。その理由について、吉村さんは説明する。
 磁気カードが登場する前のもので、駅員に定期券を見せて、改札を通る。阪急には梅田のほか、山田、吹田など「田」のつく駅名が複数あった。料金をごまかそうとする人が、「山」や「吹」の文字を指で押さえて梅田の改札を通ろうとしても、見抜けるようにした。
 写真の右側の下の方は、阪急最初の「大型長距離高速度電車」と言われた100系電車が姿を消す時の記念乗車券(1972年11月)。1927年から29年にかけて製造され、京都線の一部で旧国鉄の特急「つばめ」と並走する場所が、写真の撮影スポットとなったほどのスピードを誇った。
 吉村さんは大学への通学で乗ることがあった。「扉が2つしかなく、客は降りる時を考えて、扉近くに留まる。そのため、昼間でもラッシュアワー状態になり、駅員が乗ろうとする客のお尻を押していた。人気はあったが、使いづらい電車だった」と、思い出を語る。(梶川伸)
=地域密着新聞「マチゴト豊中・池田」第61号(2014年3月13日)

阪急100系 特急つばめ 蛍池・遊びのプロジェクト

更新日時 2014/02/18


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