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余野街道をゆく・下 池田市・細河小学校~久安寺

余野街道の地図板

 前回の終点だった池田市の細河小学校が、今回の起点となった。校庭のフェンスについている街道の案内板を参考にして歩く。案内板の横に、災害の際の避難場所を示す地図があった。歩き出すとすぐ、「実績浸水深」という表示があり、1960年の台風16号で浸水した高さを示している。
 しばらく行くと、道端に石仏が集められている。周りはコンクリートで四角に囲ってあった。まるで石仏の箱庭だった。今回のコースではこの後、石仏をたくさん見ることになる。
 専行寺の前を通る。境内にはフヨウの花があり、サルスベリも咲き残っていた。山門の前は小さな畑になっているのが、田園地帯の寺らしい。
 案内板にあった薬師堂を探す。街道から少しそれるが、その入り口がわかりにくい。2人に聞いて、それらしい堂にたどり着いた。ただし、何の表示もない。そばの人に「薬師堂ですか」と聞いてみたが、首をかしげる。堂の中をのぞくと薬師如来が安置されていて、それだと特定できた。薬師如来は小さいながら、十二神将を従えていた。堂のそばにも、石の地蔵があった。
 再び歩を進めると、今度はコンクリートの小さな堂に、石仏が収められていた。その前に石の線香立てが設けてあって、「卍消防」と刻んであるのが面白い。
 念のため、通りかかった女性に、道を間違えていないかどうかを尋ねた。すると、「本来はもう1本山側」とか。歩いていた道は「昔はバスが走っていたと母親から聞いた」そうだ。その女性は古い道標まで案内してくれた。「時々、調査に来る人がいるんですよ」と。道標は江戸時代のものだった。いまは下の方が道路のアスファルトに埋め込んである。「右 久安寺 妙」まで読めた。「妙」は「見道」と続くのだろう。さらに行き、寛文年間(1661~73)の道標も見つけた。「右 東山」「直 亀岡道」「左 細川神社」の文字が見える。
 久安寺の近くにある地蔵に手を合わせ、1938年に設置された赤い色の八千代橋で余野川を渡ると、街道は山に入っていく。久安寺の山門の横の通用口には、「猿、鹿、犬通行止め」とユーモラスに書かれていて、その文字からも山が迫っていることがわかる。(梶川伸)
=地域密着新聞「豊中・池田」第44号(2012年10月12日)

余野街道 実績浸水深 専行寺 久安寺

更新日時 2012/10/01


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