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桜塚街道をゆく 豊中市中桜塚~利倉

原田神社のそばに桜塚碑が立っている

 桜塚街道は豊中市中桜塚を起点に、豊中市原田元町、利倉を経由して猪名川を越え、尼崎市に入る。原田道、尼街道とも呼ばれ、一部に古い家並みも残る。
 阪急岡町駅の東にある原田神社から歩いた。間もなく阪急電車の西側に出て、住宅街に入る。いっぺんに道が分からなくなる。通りがかりの人に、桜塚街道の名を出して聞いてみるが、知っている人には出会わなかった。その代わり、「このあたりは、家を建てようとすると、土器や焼き物がたくさん出る」と話す人がいて、住宅開発が盛んだったことがわかる。
 原田城跡に寄る。現在は「原田しろあと館」として活用されている。説明板によると、室町時代に書かれた足利季世記に、天文10(1541)年、細川晴元の家臣、木沢長政が原田城を攻めたという記述があるという。つまり、その時期にはすでに城はあったということだ。
 しろあと館があるのは主城の北城で、東西160メートル、南北320メートルの規模だったらしい。南東300メートルの場所に、とりでとしての南城あった、と説明板に記載されていた。南城跡にも寄ってみたい。ところが、場所を知っている人に出会わない。親切に教えてもらって、道順をたどっていくと、北城に戻った時点で、探すのをあきらめた。
 街道の道筋を推測しながら行くと、原田元町2で、20体ほど集まった石の地蔵群に出会った。「寄(よせ)地蔵」を言われているようだ。道をはさんで反対側に住む大石みゑ子さんに話を聞いた。「随分前に、水害で流れてきたものを集めたらしい。その後も、持ってくる人があって増えた」。地蔵は赤い前掛けをしていた。みゑ子さんが作って着せたのだという。寄地蔵の周りに、パンジーとスイセンの花が咲いていた。夫哲三さんの心遣いだった。
 阪神高速道路の下を通ってさらに南西に向かう。大阪空港に下りる飛行機が低空を飛ぶ。豊中市がホタルを養殖している蛍ドームの前を過ぎる。空港環境整備協会からの助成金を受けていると、説明にあった。大阪植物取引所、石のとうろうが並ぶ春日神社を通り、猪名川の利倉橋まで行って、桜塚街道歩きを終わりにした。猪名川の本流から分かれた流れができ、橋の下でせき止められている。池のようになった場所で、のんびりと釣り糸を垂らしている人がいた。(梶川伸)
=地域密着新聞「マチゴト豊中・池田」第36号(2013年3月1日)

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更新日時 2012/02/16


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