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阪大の先生⑩伊藤謙さん 博物館と市民をつなぐ

アンモナイトの化石を手にする伊藤さん。阪大博物館には整理されていない化石資料も多い。「1人で地道にやってます」

 恐竜は男の子が1度は夢中になるものだ。太古の地球に生息した巨大な生き物を、現代につなげるのは化石といえる。大阪大学総合学術博物館は6月末まで特別展「巨大ワニと恐竜の世界」を開催し、世界各地で発掘された化石を展示していたが、その企画の中心になったのが2011年に博物館の研究支援推進員に着任した伊藤謙さんだ。

 小学3年生のとき、岐阜県大垣市の金生(きんしょう)山で、初めての化石発掘を行った。興味は化石に留まらず、鉱石など石の世界全体に及んだ。京都で育った伊藤さんは、日本を代表する鉱物学者の益富壽之助(ますとみ・かずのすけ)さんが近くにいたこともあり、通いつめて石の話を聞いた。「僕はほんの子どもで、先生は80過ぎのおじいちゃん。でも、そんな時期に超一流の人と触れあえたことが今の僕を作った。本当に楽しい時間だった」と懐かしむ。

 益富さんとの縁は、意外なところでつながる。伊藤さんを阪大に呼んだ髙橋京子准教授(前回紹介)が取り組む森野旧薬園(奈良県宇陀市)に残る石薬標本を、かつて益富さんが詳細に観察して記録に残していたのだ。まだ化学的分析はしておらず、益富さんは解説書に「ここにその概要を纏(まと)め今後の研究者の捨石として役立たんことを念願する」と記している。「これを読んだ時、体が震えた。僕が後を継いで研究し論文にまとめるのが使命だと感じた」と力を込める。

 人生観の面で伊藤さんに影響を与えたのが、京都・妙心寺塔頭(たっちゅう)大雄院の石河(いしこ)正久住職だ。伊藤さんの父に子どものころから面倒を見てもらった石河さんは、「科学者は1つの目でしか物を見ていない」と言った。「2つの目で見なければ、その距離はわからない。哲学者と科学者、異なる価値観で物を見つめなさい」という「二眼子(にがんす)」の教えは、先入観に捕らわれない考え方を伊藤さんに与えてくれた。

 「石河先生の周りには、年齢や地位の別なく、自然と人が集まってきた」という。「同年代だけで集まるより、人生の先輩とも話をして、叱られたり導かれたりしないと、自分を高めることにつながらない。石河先生が亡くなって場も消えてしまったけど、いつか自分でもそんなサロンを作りたい」と笑った。

 伊藤さんは化石や漢方の研究と同時に、市民と博物館をつなぐ企画も担当する。「僕が化石や、益富先生に触れ合えたように、子どもたちには本物に触れてほしい。そうした環境ができれば、今の科学離れの風潮は絶対になくなる」。伊藤さんが、博物館を面白くする。(礒野健一)

更新日時 2012/07/12


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