このエントリーをはてなブックマークに追加

箕面街道をゆく①豊中市長興寺南~中国自動車道

南天平塚古墳は、築造時には埴輪が並べられていたという

 阪急曽根駅を東に500メートルほど歩き、国道176号を横断する。国道から1本奥に入った道が旧能勢街道だ。豊中市長興寺南2で、旧箕面街道は能勢街道から分かれる。その分岐点に道標が残っていて、「右みのを」と刻まれている。今回はここを出発点とし、箕面街道を北上した。江戸時代からの箕面・勝尾寺参拝の道である。道路の上には現在の道路標識があって、それにも直進方向は箕面と表示されている。
 歩き始めてすぐ、街道を西に入ると、南天平(てんぴん)塚古墳、御獅子(おしし)塚古墳、大塚古墳と古墳が続く。古墳時代が終盤を迎えた5世紀に築造された桜塚古墳群の一部で、「能勢街道をゆく」のシリーズでも紹介した。南天平塚は松の風情が良い。御獅子塚は埴輪(はにわ)のレプリカが墳丘に並べられ、築造当時を再現している。「はにわロード」と書かれた市道の愛称表示板もあった。文字が消えかかっていたのが残念だが。
 中桜塚4のマンションの敷地で、5本の綿の木を見つけた。背は低いながらも、それぞれにフワフワとした綿の実をつけている。入居者の藤原靖男さんが植えたものだった。「私が育った岡山の田舎では、昔はよく見かけた。最近の大阪では珍しいので、子どもたちに見せたくて」と、思いを語った。
 道筋では古い道標をいくつも見かける。役行者(えんのぎょうじゃ)のレリーフをあしらったものが目立つ。「すぐ みのを」「すぐ上新田」「かつを寺」などの文字を読みながら進む。中には、「熊野田」を間違えて「態野田」と彫ったものや、「みのお」を「みの」と縮めたものも見受けられる。
 北桜塚4の豊中市上下水道局に立ち寄った。入り口に「水道発祥の地」の石碑があるからだ。職員に聞くと、ここに井戸があり、この井戸を水源にして1928年6月1日に、日量1800立方メートルを通水したのが、豊中市の水道の始まりだという。当然のことながら、今は井戸水を使ってはいない。
 豊中高校の東側を通って進むと、中国自動車道と大阪モノレールの下をくぐる。ここで、豊中駅の東側から北上してきた箕面街道の新道と合流する。新道は明治時代に付け替えられた。次回は新道を歩き、さらに北へ向かう。  (梶川伸)
=地域密着新聞「マチゴト豊中・池田」第34号(2012年1月12日)

箕面街道

更新日時 2011/12/02


関連地図情報

関連リンク