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能勢街道をゆく⑮ 石橋~水月公園

いしばし商店街はのぼりがにぎやかだ

 石橋駅を出て、池田市の街を歩き始めた。いしばし商店街を北に行く。「毎月18日は おはこ市」ののぼりが、にぎやかに並んでいる、商店街を抜けると箕面川が流れていて、道は赤い欄干の箕面橋を渡る。こちら側から商店街の入り口を見ると、アーケードに「ここは能勢街道 歴史の道 落語の道」と書いてある。
 橋のたもとに、大型の地図「池田のまち散策案内」が設置してあり、能勢街道のルートも載っている。進む方向に水月公園が矢印で示してあり、今回の目的地とした。
 その横に、石橋の地名に関する説明の石板があった。昔、西国街道と能勢街道の交差点の西側に、中央に丸い浅い孔(あな)のある長さ2メートルほどの一枚石の橋があり、石橋の地名になった、と書いてあった。
 能勢街道の案内板も近くにある。地図と説明文があり、箕面川のついて「オオサンショウウオが流れてくることもある」と書いてあった。池田市内の能勢街道の要所要所に、表示板が立てられ、設置されている地区に関する軽いコメントがついていて面白い。
 国道176号を越える。念のため、間違っていないことを男性に尋ねると、「街道は1本池田側の道で、阪急バスの営業所の中を通っていく」と教えられた。「営業所の中?}と、けげんに思いながら歩いていくと、確かにその通りだった。左右にバスが駐車している間を歩いていく。ただし、道には白いペンキで「市道」と大書され、道幅は白い線で示してあった。
 井口堂北会館の前を取りすぎると、右手に井口堂公園がある。二子塚古墳を中心にした公園で、地元の人は稲荷山古墳と呼んでいる。墳頂に稲荷をまつっているからだ。古墳は6世紀前半の築造。猪名川下流域最後の前方後円墳だという。全長45メートル。前方部と後円部に横穴式石室がある。10を超える赤い鳥居をくぐって墳頂に向かうと、途中で鉄の網越しに石室が見える。上の稲荷のそばには石仏のレリーフがあった。
 やがて道は三差路となる。石仏のレリーフが立っていて、「右大坂」の大きな文字が刻んである。その横に道標があるが、字は判読できない。資料によると、「右ハ大坂道 南無阿弥陀佛(なむあみだぶつ) 左ハ京道」の文字と蓮華文(れんげもん)が刻んであるという。
 ここにも街道の案内板がある。有馬街道との分岐点で、一口コメントは「昔、豊臣秀吉、北政所らはこの道を通って有馬の湯に行っていたかも」だった。
 また道は突き当たりとなり、「ニシンジョの地蔵」が小さな堂の中に安置されている。道を右手にとると、水月公園の入り口に到着する。「歴史の道 能勢街道」と書かれた石のモニュメントがある。街道の案内板には付近の4つの池(新池、舟池、中池、葉坂池)の位置と名前が示してあって、新池は消滅とされていた。
 公園入り口の「源遠流長」と書かれた石の門をくぐる。姉妹都市の中国・蘇州(そしゅう)市から贈られたものだ。人工の滝から葉坂池に上がると、蘇州から贈られた斉芳亭というあずまやの周りで、ハナショウブが咲いていて、紫の早生宜見(わせかつみ)、黄色の金鶏(きんけい)といった種類が満開を迎えていた。(梶川伸)

能勢街道 二子塚古墳 水月公園

更新日時 2011/06/05


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