豊中運動場100年
現在の夏の甲子園大会にあたる全国中等学校優勝野球大会の季節がやって来た。前年の第1回大会に続き、1916(大正5)年8月の第2回大会も豊中運動場が会場になった...
豊中市と、日本高等学校野球連盟(八田英二会長)、朝日新聞社(渡辺雅隆社長)が豊中市役所市で3月1日、高校野球発祥の地を顕彰する高校野球メモリアルパーク(豊中市玉...
前回、バレーボールの日本初の公式戦が、豊中運動場で開催された第3回日本オリンピック大会(1916年5月)で行われていたことを明らかにした。神戸高商や京阪神のキ...
1916(大正5)年5月に豊中運動場で開かれた第3回日本オリンピック大会では、特別競技としてバレーボールとバスケットボールのリーグ戦が行われた。両種目とも翌年...
翌年の極東オリンピックの代表選考を兼ねた第3回日本オリンピック大会は1916(大正5)年5月21日、第2日を迎えた。日曜とあって豊中運動場には早朝から家族連れ...
翌年の極東オリンピックの代表選手選考会を兼ねる第3回日本オリンピック大会は1916(大正5)年5月20日、豊中運動場で開幕した。新聞は「主催地たる我が日本選手...
1916(大正5)年から3年間は豊中運動場の黄金期だった。関西や大阪の大会はもちろんのこと全国大会や国際大会の会場になり、野球や陸上競技、サッカー、ラグビーな...
1916(大正5)年が明けた。 年末から冬季合宿している早稲田大野球部選手は豊中運動場で年を越したことになる。春に予定している米国遠征に向けてスタートダッ...
大正時代の日本球界で実力ナンバーワンを争った早稲田大や慶応大が、年末年始の冬季休暇中に合宿地としたのが豊中運動場だった。1915(大正4)年1月には慶応大が合...
大正の初め、日本の野球界を引っ張っていたのは早稲田と慶応だった。明治末には米国に長期遠征し最先端の技術と指導法を体得していた。関西では明治20~30(1887...