豊中運動場100年(54) 日本オリンピック第2日/沿道沸かせたマラソン
翌年の極東オリンピックの代表選考を兼ねた第3回日本オリンピック大会は1916(大正5)年5月21日、第2日を迎えた。日曜とあって豊中運動場には早朝から家族連れが詰め掛けた。
第2日に行われた円盤投げと五種競技(走り幅跳び、砲丸投げ、円盤投げ、220ヤード走、1マイル走)は、国内大会で初お目見えとなった。国際大会では既に正式種目になっており極東オリンピックを見据えての採用だった。
6選手が競った円盤投げは大阪高商の中村鉄選手が21メートル71で優勝し、9選手が出場した五種競技では京都の有田志朗選手が210点を挙げて1位に輝いた。ともに極東オリンピックの記録に遠く及ばなかったものの、陸上競技の新しい分野の先駆者として期待が集まった。
前日に予選があった競技を中心に決勝が行われた。激烈な接戦が続き勝者が決まるたびに大きな歓声が沸いた。しかし極東オリンピックの記録に届いた選手はおらず、フィリピンや中国の有力選手と渡り合うには課題が残った。
大会のハイライトは最後の種目となる10マイル(16キロ)マラソンだった。豊中運動場をスタートし、池田、中山寺、清荒神を経て宝塚の宝来橋がフィニッシュ地点。午後4時のスタートに合わせて箕面有馬電気軌道が豊中発宝塚行きマラソン電車を随時運行したこともあり、沿道やフィニッシュ地点は応援の人であふれた。
320人の選手がスタート。豊中運動場のトラックを1周して能勢街道を北上した。4マイル地点の池田付近から加藤富之助選手(同志社)がトップに立つ。第1回大会の5000メートル走優勝の実績をもつ加藤選手は、今大会の5000ヤード走で2位に甘んじていた。雪辱を果たすかのような快走でフィニッシュし、59分3秒8で優勝を飾った。
加藤選手はレース後、「池田に入ってから先頭になった。それからは後を顧みずヘビーもかけず歩調正しく決勝線に入った」と振り返った。(松本泉)2015.11.02
【優勝者と記録】
▽100ヤード走=奥村良一(神戸高商)11秒
▽220ヤード走=井上一元(一高)24秒2
▽440ヤード走=十川省一(早大)57秒2
▽880ヤード走=佐伯厳(大阪高商)2分12秒8
▽120ヤード障害=鈴木惣治郎(大阪高工)20秒
▽220ヤード障害=竹内幸二(神戸高商)31秒
▽1マイル走=六鹿梅礼(愛知一中)5分9秒2
▽880ヤードリレー=神戸高商1分34秒
▽走り幅跳び=甲斐義智5メートル94
▽走り高跳び=児島利三郎1メートル49
▽砲丸投げ=伊藤鉄五郎9メートル14
※1ヤードは約0・91メートル、1マイルは約1・61キロ
更新日時 2015/11/03