豊中運動場100年(59) 全国中等学校野球予選/初の大阪代表決定へ10校
現在の夏の甲子園大会にあたる全国中等学校優勝野球大会の季節がやって来た。前年の第1回大会に続き、1916(大正5)年8月の第2回大会も豊中運動場が会場になった。前年には初の全国大会として大きな注目を集めたことから、この年は早くから期待が高まっていた。
第1回大会は準備期間が2カ月余りと短かったこともあって、予選大会は地区によってバラバラだった。大阪・奈良・和歌山の予選は、既に豊中運動場で開催が決まっていた美津濃商店(現ミズノ)主催の関西学生連合野球大会に便乗することになった。準決勝で阪奈和の代表校に決まった和歌山中が、決勝では兵庫代表を逃した神戸一中に敗れてしまうという珍事まで発生した。
第2回大会に向けて、大阪と兵庫はそれぞれ単独で代表校を出すことが決まっていた。ところが、美津濃商店が夏の大会の開催権を大阪朝日新聞社に譲り、関西学生連合野球大会を春の開催にしたことから、大阪代表を決める予選は新たな大会を設けなければならなくなる。そこで大阪高等商業学校(現大阪市立大)が主催する「大阪野球大会」を8月初めに豊中運動場で開き、そこで大阪代表を決めることになった。
1916年の大阪代表校を決める第1回大阪野球大会は4日間の予定で8月4日に開幕した。出場したのは今宮中、八尾中、明星商業、大阪商業、市岡中、四條畷中、北野中、大阪市立工業、桃山中、成器商業の10校。前年と違い初めて単独で大阪代表が決まる大会とあって、豊中運動場は炎天下にもかかわらず第1日から超満員となった。
第1日から市岡中、北野中、明星商業といった強豪校が大暴れし、実力差がはっきりと出てしまう。10点以上の大差のつく試合が続いた。
第2日に桃山中と対戦した成器商業は学校の承認を得ないまま出場を決めていた。現在では考えられないが、そのせいもあって選手の人数がそろわず、2時間半も開始時間が遅れてしまった。試合は四球を22も与え、失策が24を数えた成器商業が39点の大量失点で敗れてしまい、大阪の野球史上に記録を残してしまった。
何となく締まらない試合が続いたが、順当に勝ち上がった強豪同士がぶつかる準決勝は好試合になる。特に“大阪の早慶戦”といわれた市岡中―北野中は互いにライバル心むき出しで対戦。大応援団が豊中運動場の場外まで押し掛ける大熱戦になった。
そして8月7日の決勝戦は市岡中と桃山中がぶつかり、初の大阪代表の座を競うことになった。(松本泉)
▽8月4日
【一回戦】
今宮中 24―10 八尾中
明星商 11―4 大阪商
市岡中 23―1 四條畷中
北野中 22―5 大阪市工
▽8月5日
【二回戦】
桃山中 39―0 成器商
明星商 15―5 今宮中
【準決勝】
市岡中 6―1 北野中
▽8月6日
【準決勝】
桃山中 8―2 明星商
=2016.03.14
更新日時 2016/03/14