豊中運動場100年
「高校ラグビー発祥の地」 「高校サッカー発祥の地」 豊中運動場が語られるとき、どうしても高校野球が始まったグラウンドとのイメージが強い。しかし、191...
1917(大正6)年12月22日の大阪毎日新聞朝刊1面にひときわ目立つ社告が掲載された。 現在の全国高校ラグビーフットボール大会、全国高校サッカー選手権...
1917(大正6)年5月20日に豊中運動場で初の国際大会として開かれた「日本・フィリピンオリンピック大会」(日比大会、大阪毎日新聞社主催)は、直前に東京で開...
豊中運動場初の国際大会となった大阪毎日新聞社主催の「日本・フィリピンオリンピック大会(日比大会)」は、真夏のような日差しが照りつける1917(大正6)年5月2...
1917(大正6)年5月20日。日曜日。 豊中運動場で初の国際大会となる大阪毎日新聞社主催「日本・フィリピンオリンピック大会(日比大会)」が開かれた。5月...
1917(大正6)年。 日本のスポーツ界の最大のイベントは5月に東京で開かれる極東選手権競技大会(極東オリンピック)だった。国際大会の開催は史上初めてとあ...
大正時代の大阪、京都、神戸は、街の様相も市民の気風も現代以上に異なっていた。それだけにお互いの対抗意識も強く、三都が競い合うスポーツ大会や対抗戦はことのほか熱...
1916(大正5)年11月4~6日に豊中運動場でハワイ・セントルイス大と戦った慶応大は7日、関西のチームと交流試合を行った。 当時、全国から優秀な選手が集...
1916(大正5)年11月に開かれたハワイ・セントルイス大学―慶応大学の日米野球戦は、5日に第2戦を迎えた。この日は秋晴れの日曜日。加えて前日の第1戦は延長1...
豊中運動場はもともと多数の観客を想定して建設されたグラウンドではなかった。開場半年後に土盛りで大規模な観覧席をつくったが、その敷地面積からすれば5~6千人収容...