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豊中運動場100年(49) 早稲田大が冬季合宿/在阪校と対戦、大勝続く 

1916年3月、米国遠征する早稲田大野球部。遠征を前に豊中運動場で冬季合宿して練習を重ねた

 大正時代の日本球界で実力ナンバーワンを争った早稲田大や慶応大が、年末年始の冬季休暇中に合宿地としたのが豊中運動場だった。1915(大正4)年1月には慶応大が合宿、同年12月末から1カ月にわたり早稲田大が合宿して冬季練習を重ねた。
 関東では1914年に早稲田、慶応、明治の大学リーグが発足したものの、早慶戦は乱闘騒ぎをきっかけに1907年から中止になっていた。東京では練習相手が限られていたこともあって、練習に幅を広げようと長期休暇を利用した関西遠征が始まったようだ。合宿チームはたいてい宝塚温泉に宿をとっており、温泉で英気を養いながら練習できる豊中運動場の環境も良かったのかもしれない。
 早稲田大は1916年春、シカゴ大の招待を受けて米国遠征を予定していた。前年秋には日本に遠征してきたシカゴ大に7戦全敗の屈辱的大敗を記録していた。雪辱を果たす遠征となるだけに、豊中で中身の濃い練習を集中的に行い実力をつけるのが目的だった。
 合宿期間中、早稲田大は大阪の大学チームや中等学校のチームと練習試合を重ねている。当時最強チームといわれていた早稲田大のプレーを見ることができるとあって、豊中運動場の観覧席は満員になった。
 12月24日は創部から1年余りしかたっていない関西大との対戦だった。「チームとしてかかる大敵に会うのは初めて」(当時の新聞記事)の関西大の力がどこまで通用するかがポイントだった。しかし試合は11―0と早稲田大の完封勝利。12安打11盗塁の猛攻と無失策という鉄壁の守備を見せた早稲田大に対し、2安打に終わった関西大。実力差はあまりに大きかった。
 25日には明星商業と対戦。大阪の中等学校では強豪校だったが、早稲田大が打って打って打ちまくった。5回以外は毎回得点の一方的な試合となり、27―0で大勝。大学と中等学校の差では済まされないほどの実力差だった。
 早稲田大が大阪のチームを手玉に取る試合が続いた。
 27日午前には再び関西大と対戦。関西大は6回まで失点を4点に押さえ「今日は一方的な試合にならないだろう」と期待を持たせた。しかし、7回以降に関西大が大きく崩れて結局0―12と大敗する。早稲田大はわずかな休憩をはさんで午後に北野中と対戦。疲れを見せない早稲田大の打線が爆発、20―0の大勝を収める。あまりの大差での敗退に北野中の選手はしばしぼう然とするしかなかった。
 1915年暮れの豊中運動場は早稲田大の圧倒的な強さを大阪のファンに見せつけた。
 そして1916年。年が明けたばかりの豊中運動場で日本の野球界は大きな一歩を踏み出すことになる。(松本泉)2015.08.04

【冬季合宿中の戦績】
▽12月24日
早稲田大 11―0 関西大

▽12月25日
早稲田大 27―0 明星商業

▽12月27日
早稲田大 12―0 関西大
早稲田大 20―0 北野中

北野中

更新日時 2015/08/04


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