豊中運動場(55) 神戸高商が3戦全勝飾る/バレーボール初の公式戦
1916(大正5)年5月に豊中運動場で開かれた第3回日本オリンピック大会では、特別競技としてバレーボールとバスケットボールのリーグ戦が行われた。両種目とも翌年の極東オリンピックの競技種目だったため、選手の育成、チームの強化を図るのが目的だったが、日本人になじみのない競技に興味をもってもらおうとの狙いがあった。
バレーボールは1913年にキリスト教青年会(YMCA)を通じて米国から日本に伝わったばかりだった。当時の日本にはまだボールゲームができるような体育館はなく、各地のYMCAで細々と楽しまれていたにすぎなかった。
関西では比較的施設が整っていたことや米国人指導者が熱心だったことから、関東よりも普及が早かった。京都、大阪、神戸の各YMCAにチームができたほか、神戸高商にはバレーボール部ができていた。
しかし日本に伝わってわずか3年。まだ競技大会を開催するに至ってなかった。日本オリンピック大会の競技種目として行われたリーグ戦は、日本で初めてのバレーボールの公式戦となった。
バレーボールを市民に知ってもらおうと新聞に何度が紹介記事が載った。発音そのままに「ヴォレー・ボール」と表記され、次のように解説していた。
競技方法は双方の選手各八名前後二列に並び、一条の網を中央にして相対することあたかも庭球のごとし。ア式蹴球(サッカー)の用球を手もて相互に高さ七尺の網を越し合うものにて、球を地面に落としあるいは場外に出したる場合を1点と算す――。
当時は1チーム8人で対戦している。また驚いたことにサッカーボールを使って競技したらしい。
第3回日本オリンピックのバレーボールリーグ戦には、大阪キリスト教青年会▽神戸キリスト教青年会▽京都キリスト教青年会▽神戸高商▽六稜(りくりょう)同舟会(北野中卒業生チーム)▽六稜青年会▽コケッコ団の7チームが出場した。
日本初のバレーボール公式戦は5月20、21両日、豊中運動場のほぼ中央に設けられた特設コートで行われた。実力の点では神戸高商と京阪神3都市のキリスト教青年会の実力が抜き出ていた。この4チームのリーグ戦では神戸高商が3戦全勝を飾っている。
ちなみに翌年の極東オリンピックのバレーボール日本代表チームには、このリーグ戦で活躍した選手が多数選ばれた。中国とフィリピンに敗れたものの、バレーボール人気が一気に全国に広がった。日本のバレーボールの原点もまた豊中運動場にあったといえよう。(松本泉)2015.11.18
更新日時 2015/11/18