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豊中運動場100年(71) 日米大学野球/3日間で1勝1敗1分け/互角の力、持つこと示す

ベンチで試合を見守るハワイ・セントルイス大(上)と慶応大の選手たち

 1916(大正5)年11月に開かれたハワイ・セントルイス大学―慶応大学の日米野球戦は、5日に第2戦を迎えた。この日は秋晴れの日曜日。加えて前日の第1戦は延長11回引き分けだったことから、豊中運動場は野球ファンであふれた。
 絶好の行楽日和ということで、箕面有馬電気軌道は日米野球戦に絡めてさまざまな催しを沿線で開催した。宝塚新温泉では新作の少女歌劇の公演を夜まで延長したほか、箕面公会堂で開催中の文展や、宝塚で人気を集めていた関西勧業共進会、紅葉のピークを迎えていた箕面公園もPRした。豊中運動場の帰路に箕面や宝塚に立ち寄れる「梅田―豊中特別往復乗車券」を格安の19銭で発売した。
5日の第2戦は、1点を競り合う緊迫した好試合になった。
セントルイス大が2回裏に先制すると、慶応大は3回表に森秀雄選手の適時打ですぐに追いついた。しかしセントルイス大は3回裏、失策絡みで2点を奪取して逆転する。ところが慶応大は4回表、腰本寿選手の適時2塁打で1点を返し、相手守備の乱れに乗じてさらに2点を追加して一気に勝ち越した。逆転に次ぐ逆転に観客の興奮は頂点に達した。
 5回裏にセントルイス大は敵失で1点を挙げて同点となる。「また延長戦になるのではないか」と観客が思い始めた7回表、慶応大は安打と盗塁で2塁に達した鍛冶仁吉選手が、相手の失策の間に生還して勝ち越し9九回表には鍛冶選手と山口昇選手の連続安打でさらに1点を追加。そのまま逃げ切って6―4で激戦を制した。
 セントルイス大の先発投手、ジャンセン主将は「森投手の出来がすばらしかった。ロングヒットが1本も打てなかったのをみても、いかに苦しめられたかがわかるでしょう」と、慶応大先発の森茂樹投手の力投をたたえた。一方で「我々の希望は有終の美を飾りたいという一事にある」と話し、翌日の最終戦での勝利を誓った。
 翌6日の第3戦に、セントルイス大の選手は黒キャップと黒ユニホームで登場した。豊中での慶応との対戦は1敗1分け、東京での対戦成績を加えると2勝2敗1分け。日本での慶応との最終戦は何としてでも勝利を収めて勝ち越さなければならない。黒づくめの姿に決意が表れていた。
 決意がそのまま試合ににじみ出たかのように、試合は一方的な展開になった。
 セントルイス大は1回裏に敵失で2点を先制。四回裏には1死満塁から2点、5回裏にはピーターソン、マジス両選手の適時打で2点を挙げ、前半で6―0と大きくリードを広げた。
 慶応大は6回表に1死3塁から二ゴロの間にようやく1点を返したものの、先発したセントルイス大のマジス投手の力投の前に凡打の山を築いてしまった。結局8―1の大差でセントルイス大が豊中での初勝利を飾った。
 もともとは4番打者で捕手のマジス選手だが、この日は慶応打線を1安打に抑える好投を見せた。セントルイス打線も10安打を浴びせて効率の良い攻めで得点を重ねた。
 10年前には外国チームにほとんど歯が立たなかった日本のチームが、ほぼ互角に渡り合えるようになってきたことを証明した3日間でもあった。豊中運動場での日米野球戦は、日本の野球の実力が着実に伸びてきていることをしっかりと示してくれた。(松本泉)

▽ハワイ・セントルイス大―慶応大
第2戦(11月5日)
 慶応  001300101=6
 ハワイ 012010000=4
第3戦(11月6日)
慶応  000001000=1
 ハワイ 20022002×=8
=2016.08.26

ハワイ・セントルイス大学 箕面有馬電気軌道 宝塚新温泉

更新日時 2016/08/26


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