豊中運動場100年(72) 関西球界に重い宿題/慶応大、在阪チームに快勝
1916(大正5)年11月4~6日に豊中運動場でハワイ・セントルイス大と戦った慶応大は7日、関西のチームと交流試合を行った。
当時、全国から優秀な選手が集まり、米国に遠征して力を磨いていた慶応大は、早稲田大とともに日本を代表する野球チームだった。関西では憧れのチームであるとともに、追いついて追い越したい目標のチームでもあった。来阪した慶応大と在阪チームとの試合は、野球ファンにとっても楽しみな対戦だった。
午前は、関西で売り出し中の大阪高等商業学校と対戦した。大阪高商の野球部はこの年に創部したばかりだったが、早速指折りの強さを発揮していた。慶応との試合は実力を試す好機だった。
慶応は、三宅大輔主将のほか、森茂樹遊撃手、鍛冶仁吉外野手、山口昇投手ら主力をスタメンからはずし、いわば“準一軍”選手で試合に臨んだ。対する大阪高商はもちろん主力選手で挑む。大阪高商は200人以上の学生が陣取り、声を枯らして応援した。
慶応が1回裏に松田恒政選手の左前適時打で先制すれば、大阪高商は2回表、相手投手のけん制球暴投で1点を返して同点とした。しかし慶応は3回裏に1死満塁から死球押し出しで1点を挙げて勝ち越し。6回裏にも追加点を挙げる。結局3―1で慶応が勝利を収めた。慶応の森秀雄投手は、大阪高商打線を1安打に抑え11奪三振と好投した。一方の大阪高商の西川孝二投手は8安打を浴びたものの、10三振を奪う熱投だった。
実力に差はあったものの、大阪高商はよく健闘したといえる。加えて慶応の選手の野球に対するひたむきな姿勢が賞賛された。大阪毎日新聞は「慶応が戦前既に勝敗の数明らかなるにも関わらず、終始軽侮の念なく徹頭徹尾真面目に試合を継続したる態度は絶賛して止まざるところ」と記している。
午後は、関西の強豪校からの選抜選手でつくる関西連合チームとの対戦だった。
連合チームには、和歌山中、桃山中、市岡中、北野中、同志社、京都一商、神戸二中、関西学院から選手が選ばれた。強豪選手ばかりだったが、1度も合同練習できなかったのが懸念された。
試合が始まるとその懸念が当たってしまう。実力差以上の大差がつく試合展開になってしまった。慶応は初回から大量得点を挙げて大きくリード。守備でも攻撃でもうまく連携が取れない関西連合は8回裏、3塁打で出塁した永岡一選手(和歌山中)が内野ゴロの間に生還する1点を挙げるにとどまる。慶応は11安打で効率良く16点を挙げて圧勝した。
大阪毎日新聞は「一度も集まって練習したことのないプレーヤー同士にチームワークのないのは当然。シャットアウトを免れたのはせめてもの満足としたい。むしろ善処したと叫びたい」とたたえた。しかし、慶応大チームとの力の差があまりにも大きいのは誰の目にも明らかだった。
慶応大との交流試合は関西の野球界に重い宿題を与えてしまった。(松本泉)
▽大阪高商―慶応大(11月7日)
大阪高商 010000000=1
慶応大 10100100×=3
▽慶応大―関西連合(同)
慶応大 451006000=16
関西連合 000000010=1
=2016.08.31
更新日時 2016/08/31