豊中運動場100年(75) 好天に恵まれた日比オリンピック/「フィリピン日和」に躍動
1917(大正6)年5月20日。日曜日。
豊中運動場で初の国際大会となる大阪毎日新聞社主催「日本・フィリピンオリンピック大会(日比大会)」が開かれた。5月8日から5日間、東京・芝浦で開催された極東選手権競技大会(極東オリンピック)に出場したフィリピンの一流選手が、日本選手との一騎打ちを制するべく豊中に乗り込んできた。
出場したのはフィリピン選手37人と日本選手30人。やや気温が低かった極東大会では日本がトップ、フィリピンは2位に甘んじていた。対して大阪は真夏のような暑さ。 220ヤードH(ハードル)に出場予定のアストラキロ選手は「何という良い天気だ。風もほこりもない。そこへこんなグラウンドを提供されて、もう文句はない」と上機嫌。フィリピンの選手たちは「ちょうどフィリピンと同じ気候になった」「まるで生き返ったようだ」と大いにはしゃいだ。
日章旗と星条旗が所狭しと翻る。婦人専用席から声援を受けるたびにフィリピン選手は笑顔で手を振って応えた。日比の真剣勝負を一目見ようと詰め掛けた超満員の観客は汗をぬぐいながら「この暑さはまるでフィリピン日和だ」と話し合った。
午前10時。トラックでは100ヤード走予選、フィールドでは砲丸投げから競技が始まった。
競技記録を見てもらいたい。
中長距離走以外ではフィリピン選手が圧倒したことがわかる。
特に、砲丸投げ、220ヤードH、円盤投げ、120ヤードH、走り高跳び、やり投げ、棒高跳びの7競技では、1~3位をフィリピン選手が独占した。
フィリピン選手が本来の力を発揮できたことで記録も伸びた。砲丸投げ、440ヤード走、220ヤード走、220ヤードH、120ヤードH、やり投げ、880ヤード走の7競技の優勝記録は、極東選手権大会の優勝記録を上回った。やり投げでは3メートル近く伸ばしたほか、220ヤードHでは1秒縮めている。
豊中運動場で繰り広げられた日比両選手の大熱戦は、好記録と好勝負を次々と生み出していった。(松本泉)
◇日比大会競技記録◇
砲丸投げ アルバレス◎10メートル74
440ヤード走 山之内晋作(日本歯科医学校) ◎53秒4
走り幅跳び カルデナス 6メートル42
220ヤード走 カタロン ◎23秒6
220ヤードH I・アストラキロ ◎27秒6
円盤投げ モンテス 31メートル64
1マイル走 多久儀四郎(愛知一中教諭) 5分1秒
半マイルリレー フィリピン 1分39秒
120ヤードH ラバヤ ◎16秒8
走り高跳び ビイラヌエバ 1メートル65
100ヤード走 サビィエドラ 10秒2
やり投げ ガマベイ ◎46メートル2
880ヤード走 多久儀四郎(愛知一中教諭) ◎2分11秒
棒高跳び アロ 3メートル4
ハンマー投げ 河津彦四郎(広島師範) 22メートル68
1マイルリレー 日本 3分46秒
※1ヤード=0.9メートル、1マイル=1.6キロ
※◎は極東選手権大会の優勝記録を上回った記録
更新日時 2016/10/18