心にしみる一言(267) 理性的でありながら心情的で、科学的でありながら人間性豊かな心が必要
◇一言◇
理性的でありながら心情的で、科学的でありながら人間性豊かな心が必要
◇本文◇
体験教室ではあっても、体験するということは大事なことだと知った。大学の付属病院で看護体験の催しに参加したことがある。看護のほんの一部を知っただけだが、随分と心に残った。
最初に病院長の簡単な話があった。「『看』は『みる』。病状だけでなく、患者の心理的な面も、社会的な背景もみる。『護』は『まもる』。いたわり、なぐさめ、支え、導くこと」。その後に、上記の言葉が続いた。実技体験で、その言葉を具体的に実感した。
看護師の指導を受けながら、男性患者の洗髪をした。仰向け状態でシャンプーをつけ、シャワーで水をかけながら洗う。まず、湯の温度のチェック。看護師は「敏感なところに湯をあてて」と言った。自分の脈をとる部分で温度を調節することを知った。こんな細かいところにこそ、実地に意味がある。
看護師の言葉が印象に残った。「単に洗髪するだけではない。この機会を活用して患者に声をかけ、コンタクトをとる。皮膚の状態、顔や唇の色もチェックする」。看護の心がどんなものかが、少しわかったような気がした。
洗髪体験がすんだ直後、看護師は言った。「私はもっと手早くする」。患者には無理な姿勢なので、「のんびりしているわけにはいかない」と。実は、この言葉が1番心に残った。
実地をすませ、病院食を試食した。ここでも、心に響く言葉があった。食器はプラスチックではなく、陶器のものを使っていた。「プラスチックでは味気ない」
1997年のことだった。21世紀はケアの時代ともいわれていた。体験談を、ちょっとした記事にまとめた。人が人を世話をする社会は、看護や介護の心を持ち、看護や介護の基礎知識を持っておくべきだ。それが記事のしめくくりだった。(梶川伸)2020.10.24
更新日時 2020/10/24