心にししみる一言(403) 遊子の段畑を世界遺産にしたい
◇一言◇
遊子(ゆす)の段畑を世界遺産にしたい
◇本文◇
お遍路さんのための休憩所づくりの活動、「四国八十八ヶ所ヘンロ小屋プロジェクト」を支援する会にかかわっている。207年に、会の愛媛支部ができた。その設立会を宇和島市で開いた。
設立会は、遍路に関する記念講演会とシンポジウムが中心だった。しかし、1番記憶に残ったは、来賓で参加していただいた市長の言葉だった。それが取り上げた「遊子の段畑を世界遺産にしたい」
私は遊子の段畑事態を知らなかった。それなのに、市長は力を込めて、繰り返したのをよく覚えている。
どんな所なのか、いつか行ってみたい。それがかなったのが、2010年のことだった。愛媛支部長を訪ねる機会があり、お願いしてモーターンボートで連れていってもらった。半島が突き出ていて、その先端が遊子で、湾を横切ると早く着けるからだった。
細い岬の先端の斜面を活用した段々畑。一目見て驚いた。段は高い場所で60もある。
元は60度もある急斜面。1.5メートルも石を垂直に積んで壁を造り、下と上の斜面の差で、幅わずか70センチわずほども畑地を造り出していた。「耕して天に登る」。遊子の段畑を表す言葉を教えてもらった。
それかたまた時が過ぎて2017年。遍路旅(バス旅)の先達(案内人)をしていて、宇和島市の霊場を参拝する際鬼、わざわざ2時間を捻出し、お遍路さんを遊子の段ばた案内した。市長が熱を入れていた世界遺産は無理にしても、ぜひとも見てもらいたい光景だったからだ。
畑には一部、サツマイモが植えてあったが、ほかには何も植えてない。出会った人に聞くと、11月になると、ジャガイモを植えるという。そのために、畑はきれいに整地されていた。
別の女性にも話を聞いた。
ーー宇和島は江戸時代、伊達藩だった。この地区は農地がとれず、農産物とは縁がなかった。ところがサツマイモを作るよう命じられ、畑地を作ようになった。しかし、今のような景観になったのは、私が子どものころだった、小学生のころ石積みを手伝った。サツマイモに、米と同じくらいの値がついた。それが段畑が上へ上へと伸びて行った理由だった。やがて、サツマイモ栽培をしていた人が海の仕事へと変わっていった。そのため、段畑を維持・管理するのは大変で、NPO法人を作って守っている。今はジャガイモを作って売っている。
更新日時 2023/05/18