心にしみる一言(311) 避難所は暖かかった
◇一言◇
避難所は暖かかった
◇本文◇
1995年1月17日午前5時46分、阪神大震災が起きた、新聞記者だった私も現場取材をしたが、1番心に残ったのは神戸市長田区から須磨区にかけての大火災だった。
取材したのは4日目のことだった。木造家屋の密集地帯で、最初の2日間ですべてを燃やし尽くした。3日目に自衛隊が入って捜索活動をし、4日目は家族が木の棒で遺品を探していた。
その焼け野原の印象が強烈で、毎年の震災懸念日のその時刻は、そこにいることにしている。その時刻の寒さと記憶を体験に行く、そう理由づけをしていた。とことが29年目の今年、思わぬ言葉を聞いた。
その場所に行くために、未明のタクシーに乗った。運転手さんに発生当時のことを聞くと、何と丸焼けになった一角、千歳地区に住んでいたという。
「わずか10分間ですよ。火の粉が飛んできて、焼け落ちるまで」「小さかった娘(確か5歳と聞いたと思うが)が玄関から逃げる時に、軽いけがをしただけで、家族全員助かりましたが」
運転手さん一過は避難所になった学校に入った、その思い出は、予想もしたかった言葉で語られた。「避難所は暖かったですよ。周りは燃えてるんですから」
ハッとした。追体験しかできない私は、寒さのことしか思い浮かばなかったのだが、何という浅はかさ。大火災の被災者にとっては暖かかったのだ。すべてを燃やし尽くした結果の暖かさは、寒さよりもつらかったに違いない。
それでも運転手さんは言った。「財産はすべて失いましたが、それ以外は残りました。小さかった娘は、小学生の母親なりました」(梶川伸)2024.01.18
更新日時 2024/01/18