心にしみる一言(249) 日本で1番人口密度が高かった
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日本で1番人口密度が高かった
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長崎市の沖の端島は2015年、「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」の1つの場所として、世界遺産に登録された。海上に浮かぶ形から、軍艦島という名前で知られている。
登録される前年、訪ねてみた。島へは4つの会社の船のツアーでしか渡れなかった。乗ったはシーマン商会の船で、ツアーには案内人がついていた。以前は島に住んでいて、世界遺産にする会の理事長を務めている人だったので、たくさんのことを教えてもらった。
島は南北480メートル、東西160メートル。1810年ごろに石炭が発見され、1890年に三菱の経営になり、1974年に閉山した。コンクリートで護岸を築き、その小さな区域に最大で5万300人が生活していた。「日本で1番人口密度が高かった」と、案内人は言った。
島での上陸時間は30分あったかどうか。見学場所が3カ所と決まっていて、その距離は300メートルほどで、遊歩道が整備されていた。歩きながら、案内人の話を聞いた。
世界文化遺産の登録には「明治の」と限定されている。このため、島全体が世界遺産ではなく、遺産部分は、船着き場の近くの煉瓦積みの建物と堤防だという。島の象徴になっている崩れたアパートなどの建物は、登録されていない。
島には映画館もパチンコもあった。給料を20万円ももらっている人がいた。散らばっているがれきは、台風などで崩れた建物。島の炭鉱は黒字のまま閉山した。
案内人に話で印象に残ったものを「一言」として取り上げた。小さな島の短い歴史は、日本のエネルギー政策の変転の象徴のように思った。「島の人は軍艦島と呼ばず、端島と言う」。これも案内人が強調した言葉だった。(梶川伸)2020.08.06
更新日時 2020/08/06