心にしみる一言(238) 30年間ありがとう。私が1番愛したのはあなたでした。
◇一言◇
30年間ありがとう。私が1番愛したのはあなたでした。
◇本文◇
なじみになった居酒屋が、開店30周年を迎えた日だった。私の仕事の関係上、店に行くのは結構遅い。客が次第に引き上げ、やがて私1人になると、女将が紙を取り出し、達筆のメモを見せた。そこに書いてあったのが、取り上げた言葉だった。
「これと同じものを家に置いてきたんです」。夫は料理の仕込みをし、店が開く前に引き上げ、後は女将が取り仕切る。そんな夫への手紙だった。
中年夫婦の区切りの日、妻から夫への愛と感謝。短い文章の中に、長年の思いが凝縮しているように思った。「なかなか仲がいいじゃないですか」。私は冷やかした。
女将の返事は意外だった。「ここを見てちょうだい」。こことは、「一番愛したのはあなたでした」の箇所。「『でした』なのよ」。言われてギョッとした。過去形だった。返す言葉に詰まってしまった。
中年夫婦の愛は、長い間におぼろげなものになってしまうだろう。現在進行形のように見えても、いつ過去形に変わるかわからない危うさを持っている。夫は過去形に気づくのだろうか。つがれた酒に、ひんやりとしたものを感じた夜だった。(梶川伸)2020.06.07
更新日時 2020/06/07