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能勢街道をゆく⑬刀根山~蛍池

刀根山公園南側の石仏堂

 今回は豊中市・刀根山公園が出発点だが、まず麻田藩陣屋門跡を訪ねた。陣屋は外様大名、青木氏の居宅で、門は蛍池駅の近くにあったが、明治になってこの地に移されたと、説明板に書いてあった。
 さらに北へ行くと、刀根山御坊(常楽寺)に行き着く。前回紹介した道しるべが指していた寺だ。道しるべにあった存覚上人が貞治2(1363)年に、豊島之庄(現在の石橋)創設した。存覚は本願寺三世、覚如法主(ほっす)の長男。今の場所は織田信長が築いた刀根山城の跡で、門前に下馬札が立てられ、本堂の屋根には菊の紋章があり、大名といえども素通りはできなかった、と説明にあった。
 境内の一角は動物霊園になっていて、豊中市庄内幸町の村上みつるさんが手を合わせていた。村上さんが13年飼っていた雄犬「クール」は2010年7月に息を引き取り、この霊園に葬られた。お参りが遠のいていたのだが、クールが夢で出てきたので、足を運んだという。
 クールは1万匹に1匹という胃と食道の病気で、ご飯は立って食べなければならなかった。このため、村上さんは仕事の合い間に自宅に帰り、食事の世話をしたという。水が大好きだったが、それも病気のせいだった。「久し振りにお墓に来ると、お供えの水が濁っていた。きっと、水を新しくしてほしかったのでしょう」と、夢に出てきた理由を解釈していた。
 寺の少し北西に刀根山北会館がある。その北側で、中国道の手前に地蔵堂が設けられていて、石仏群が取り囲んでいる。資料によると、中国道の建設に伴い、付近の石仏を集めてまつったという。少し引き返すと、高札場跡の石碑が立っていて、往時の名残を示す。
 街道に戻って北上し、中国道を渡る。大阪大学の西側を通ると、そこは住宅街になっていて、清風かつら通りと名づけられた道をゆく。国道176号を越え、圓照寺のあたりからまた、住宅街の狭い道に入っていく。
阪急の線路を西に渡る手前に、旧石橋村の高札場跡の説明板が設置してある。幕府や奉行所が法令などを張り出したのが高札場で、元禄3(1690)年の資料によると、当時このあたりには29戸が住んでいただけ。しかし、京都と山陽地区を結ぶ西国道と能勢街道の交差する場所だったので、高札場が設けられたのだろう。説明板の設置者として、池田市教育委員会の文字があった。街道は池田市に入り、「ショッピング・ストリートいしばし」を通り、石橋駅の西側へとつながっていく。(梶川伸)

刀根山御坊 存覚

更新日時 2011/04/14


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