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心にしみる一言(227) 学天則は正式登録番号9786

学天則

◇一言◇
 学天則は正式登録番号9786

◇本文◇
 学天則(がくてんそく)とは何のことか分からない人がいるかもしれないが、「日本初」と位置づけられているロボットのことだ。
 毎日新聞の大先輩に、西村真琴がいる。北海道帝国大学の教授だったが、当時の社長に請われて、大阪毎日新聞(現毎日新聞=大毎)の学芸部記者になった。異色のジャーナリストである。
 昭和になったことを記念する博覧会が昭和2年、京都で開かれた。西村はそれに合わせて学天則を作り、大毎として出展した。チェコのチャペックが「ロボット」を登場させる戯曲を書いて、8年後のことだった。毎日新聞の130年史を発行する際、西村の項目を担当したので、調べて知った。
 2002年に学天則は、小惑星の名前になった。そのことを1面のコラム「余録」に書いた。その際、大阪市立科学館の学芸課長に取材し、またたくさんのこと教えてもらった。
 小惑星は発見者に命名権がある。群馬県の小林隆男さんは1300もの小惑星を見つけていた。そのうちの300個ほどについて、国立天文台などに命名を依頼した。国立天文台から、大阪市立科学館に「関西ゆかりの名前をつけてほしい」と依頼があった。22の名前を国際天文連合に申請し、9月25日に20件が登録されたと連絡があった。
 その中に学天則がった。それはニックネームで、正式登録番号9786となる.実は科学館には、大阪の科学の象徴とし、学天則のレプリカが展示してあった。
 大阪の天文学史に関する学芸課長の話はおもしろかった。小惑星には学天則のほかに、間重富、麻田剛立、高橋至時、高橋景保など、江戸時代の大坂の暦学者の名をつけたそうだ。
 江戸時代の大坂に、天文学中心の「先事館」とい塾があった。1780~90年ごろで、本町あたりだったという。麻田剛立が塾長。医者で、大分藩のご典医。大阪に出て天文学を教えた。間重富は弟子で質屋。高橋至時も弟子で大坂城の役人だった。その息子は高橋景保。
 幕府に暦を作る役所、天文方があった。至時らが江戸に招かれ、寛政の改暦が行われた。大阪としては誇らしい歴史だと思った。(梶川伸)2020.03.18

更新日時 2020/03/18


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