能勢街道をゆく⑫豊中~刀根山
今回は豊中駅の東側にある旧能勢街道を北上した。駅前の歩道橋上の広場に、全国高校ラグビー大会80回記念モニュメントが設置してある。高校ラグビーは1918年1月12日、第1回アッソシエーション式・ラグビー式日本フートボール優勝大会として、旧豊中グラウンドで始まった。
第1回中等学校野球大会(現高校野球大会)が開かれたグラウンドだ。ラグビーは3年遅れてのスタートだった。第1回大会には4校が出場し、全同志社が31対0で京都一商を下して優勝した。豊中グラウンドでは第5回大会まで開かれ、その後は甲子園球場、西宮球技場などに会場を移し、1963年から東大阪市の花園ラグビー場で開かれている。
旧能勢街道は、豊中駅前一番街の商店街に入っていく。その角には、新しく建てられた能勢街道の石柱がある。街道を少し外れた豊中市本町7丁目交差点には、1927年に建てられた石柱があり、「右 豊中々 梅花女 学校道」「左 箕面街道 桜井谷村」などの文字が刻まれている。
街道から少し東に入ると、3つの寺が続いている。看景寺の狭い境内を見ると、鐘楼をツバキの花が囲んでいた。1本の木は赤い花をつけ、花の中心部は花びらが重なってフリルのようになっていた。寺に品種を聞くと、詳しい女性が庫裏から出てきてくれた。手に紙を持ち、「卜伴錦(ぼくはんにしき)」と書いてあった。漢字の説明は難しいので、わざわざ手書きしてくれていたのだ。その心遣いに感激した。
甘えがてらに、他の品種も教えてもらった。太郎冠者(かじゃ)、有楽(うらく)、加茂本阿弥(ほんあみ)。梅は黒竜梅。花がすきなのだろう。
光源寺、法雲寺と巡って街道に戻った。新千里川をわたると、上り坂になる。資料によると、昔は「皿池の坂道」と呼ばれ、難所だったらしい。坂を登ると刀根山公園に出る。その手前に2つの石柱が立っている。大きい方は「存覚上人御舊(旧)跡」の文字。その先にある刀根山御坊(常楽寺)への道しるべだった。常楽寺は次回訪ねてみる。(梶川伸)
更新日時 2011/03/30