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心にしみる一言(97) 本数では負けるところがあるが、吉野は日本1の桜には違いない。1000年の歴史と精神文化に支えられているから

蔵王堂のしだれ桜

 10年あまり前、奈良県・吉野の桜について取材したことがある。奈良県吉野町文化観光商工課の田中敏雄課長補佐(当時)は大変詳しい方で、吉野の桜への思い入れは強く、取り上げた言葉にもそれが現われていた。
 田中さんによると、吉野の桜を有名にしたのは西行だという。西行は吉野の桜をこよなく愛した。それ以降、花見と言えば桜、花といえば吉野となった。
 西行は全国を行脚していて、人々にもなじみがあった。西行の歌が載る新古今集の写本もたくさん流布した。西行は吉野の桜のPRをしたことになる。
 江戸時代の旅行本がアンケートをした。行きたい所は1番が富士山、2番が吉野。そのくらいメジャーだったそうだ。
 桜は修験道(しゅげんどう)と一体化して、全国レベルなったと分析する。役行者(えんんのぎょうじゃ)が蔵王権現を感得した時、山桜の木で蔵王権現を刻んだと伝えられているからだ。
 田中さんは「実際には桜の木とは違うと思うが、いつの間にか伝説になって、桜が聖木となった。修験の文化がなければ、蔵王堂もただの箱。ところが、修験の文化がいまも息づいている」と熱を増し、最後は「朝もやの桜を見てほしい」と締めくくった。(梶川伸)2017.02.26

更新日時 2017/03/26


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