寺の花ものがたり(83) 隨心院(京都市山科区)唐棣=3月中旬~下旬
古くから、隨心院(ずいしんいん)のあたりに咲く梅は、古名の唐棣(はねず)で呼ばれてきた。唐棣色とは白色を帯びた紅色で、唐棣には木蓮(もくれん)や庭桜の古名とする説もあるようだが。
寺に唐棣踊りが伝わる。寺がこの地にできる前、ここには小野小町が住んでいたという。小町と深草少将の悲恋を歌った「小野わらべうた」に合わせ、梅の花を髪に差して踊る。
悲恋物語はこうである。小町を慕う少将は百夜通(ももよがよい)を決意し、思いを伝えようとする。小町の方は、榧(かや)の実を並べて、その日が来るのを待った。少将は雨の日も通い続けたが、悲願達成の前日、99日目の雪の夜に倒れてこの世を去った。
わらべうたに、「今日でどうやら九十と九度 百度まだでも まあお入りと 開けてびっくり よー お変わりじゃ」と出てくる。少将が変わり果てた姿になっていた、との意味だろう。しかし、寺の主事、英(はなぶさ)良彦さんに、別の解釈も教えられた。「戸を開けると、人が変わっていた。大雪だったので、少将は代理人を仕立てた。そのために小町に見放された」
境内の一角に梅園がある。木は200本ほどで、ほとんどが紅梅だ。「整備されたのは、昭和の初めでしょう。それまでは畑で、自給自足をしていた」。梅も実を採るために植えられたと推測できる。「なぜか行き違いで、花を見る梅に変わっていった」
紅梅の中に、特に赤い花がある。唐棣本来の薄紅色ではないのだが、土地の人の中には、これを唐棣と言う人がいるらしい。
「山に囲まれた山科(やましな)盆地は、結構冷え込む」。梅の開花が、京都・北野天満宮よりも1カ月ほど遅いのは、そのせいかもしれない。遅い年は、桜の時期に重なることもある。山科の春の趣だろう。(梶川伸)
◇隨心院◇
京都市山科区小野御霊町35。075-571-0025。地下鉄小野駅から徒歩5分。梅園の入園、本堂の拝観有料。正暦2(991)年、仁海僧正の開基と伝えられる。本尊は如意輪観音。小野小町にちなむ地蔵、文塚、化粧の井戸、榧の大木、卒塔婆(そとば)小町像もある。
=2006年2月9日の毎日新聞に掲載したものを再掲載(状況が変わっている可能性もありますので、ご了承ください)2017.02.02
更新日時 2017/02/02