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寺の花ものがたり(60) 西林寺(京都市上京区)木槿=7月下旬~9月上旬

2005年8月5日撮影

 まち中の狭い通りを入って行った所に寺はある。住職の山本真照さんは「このあたりから応仁の乱が始まった。広い寺領を持っていたようだが、戦火で焼かれて」と語る。いまは小さな寺である。
 西陣の一角。妻まち子さんは「コトコトという機織(はたお)りの音が、子たちの子守り歌のようで」と、以前の西陣を振り返る。
 民家の中に埋もれてしまいそうな寺だが、木槿(むくげ)地蔵の寺として親しまれている。木槿は通常は「むくげ」と読む。しかし、寺も、このあたりの人も「もくげ」と発音する。「その方が言いやすいのでしょう」と真照さんは言う。
 寺伝によると、781年に僧都(そうず)となった慶俊がこの地で、朝露に乱れ咲く木槿の草むらから、地蔵尊を感得し、開山した。そのため、木槿地蔵と呼ばれるようになった。
 境内の木槿は、その地蔵にちなむ。数は15本ほどだから、それほど多いわけではない。しかし、いわれのある花だけに、珍重されるようだ。花の季節になると、裏千家から毎朝、枝ぶりのいいのを1本か2本もらいに来ると言う。切っていくのは白い花だとか。まち子さんも白が好きだが、真照さんは「八重のピンクがいい」と、好みは違う。
 昔は洛陽四十八所地蔵霊場の1つだった。巡拝の風習はすたれてしまったが、ご詠歌が残っている。「いにしえの 木槿を止めし のりの庭 西の林の 名さえたのもし」。ここにも、木槿が登場する。
 寺では「もくげ会」を設立して、毎月23日に真言を唱える真言念誦行(ねんじゅぎょう)を催している。天台宗の寺だが、修験道(しゅげんどう)の寺でもあり、毎年11月23日に護摩をたく。その灰は、木槿に肥料にする。木槿とともにある寺である。(梶川伸)

◇西林寺(さいりんじ)
 京都市上京区御霊前通室町西入玄蕃町46。075-431-1529。京都市営地下鉄鞍馬口(くらまぐち)駅から徒歩5分。境内自由。地蔵について、修験道開祖の役行者(えんのぎょうじゃ)が松の根元に光を認め、掘り出した石で刻んだとの言い伝えもある。現在の本尊は江戸時代のものらしい。
=2005年8月11日の毎日新聞に掲載したものを再掲載(条項が変わっている可能性もありますので、ご了承ください)2016.07.29



慶俊 木槿地蔵 修験道 役行者

更新日時 2016/07/29


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