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心にしみる一言(30) 百姓の来年 

2001年12月13日の毎日新聞

◇一言◇
 百姓の来年

◇本文◇
 三重県美杉村八知は山深い所だ。旧満州(中国東北部)に渡った相野田健治さん一家は、戦争で開拓の夢を打ち砕かれた。戦後の47年、もう1度夢を託し、12世帯で入植したのが八知だった。
持てるだけの身の回りの品が、全財産だった。まず住宅を建てた。間口2間、奥行き3間。「カヤの屋根、カヤの壁、カヤの床。すき間から雪が入ってきて、布団の上が真っ白になった」
開墾をしても、土地はやせていた。何を作ってもうまくいかない年が続いた。やっと電気を引いたとたん、59年の伊勢湾台風に見舞われ、ランプ生活に逆戻りしたこともある。高度経済成長期は離農者が相次ぎ、絶望感を味わった。
夢を追い続けた人生。支えたのは「来年こそは何とかしたい」の思い、「百姓の来年」だった。(梶川伸)=2001年12月13日の毎日新聞に掲載したものを再掲載2015.06.18

更新日時 2015/06/18


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