心にしみる一言(14) 我是日本民族
◇一言◇
我是日本民族
◇本文◇
1973年8月、山根理一さんに中国・ハルビン市から届いた手紙は、この言葉で始まっていた。
差し出し人は残留孤児の男性だった。父母と同じように中国の開拓村にいて、開拓団の歴史を研究している山根さんを頼ってのことだった。
「父母去世以久」。手紙は続く。中国名で生きてはきたが、「自分がだれなのか、だれの子どもなのか教えてほしい」と訴えていた。
「覚えていることを書きなさい」。手紙のやり取りが続いた。「地震があった」という記憶が昭和新山(北海道)と結び付き、身元は判明した。
最初の手紙から2年後、日本名をしたためた手紙が届いた。「日本に帰りたい」。それから1年後、帰国が実現した。山根さんの尽力は、「日本民族」の言葉に動かされてのことだった。
=2001年8月16日の毎日新聞夕刊に掲載したものを再掲載2015.03.10
更新日時 2015/03/10