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心にしみる一言(14) 我是日本民族 

2001年8月16日の毎日新聞

◇一言◇
 我是日本民族

◇本文◇
 1973年8月、山根理一さんに中国・ハルビン市から届いた手紙は、この言葉で始まっていた。
 差し出し人は残留孤児の男性だった。父母と同じように中国の開拓村にいて、開拓団の歴史を研究している山根さんを頼ってのことだった。
 「父母去世以久」。手紙は続く。中国名で生きてはきたが、「自分がだれなのか、だれの子どもなのか教えてほしい」と訴えていた。
 「覚えていることを書きなさい」。手紙のやり取りが続いた。「地震があった」という記憶が昭和新山(北海道)と結び付き、身元は判明した。
 最初の手紙から2年後、日本名をしたためた手紙が届いた。「日本に帰りたい」。それから1年後、帰国が実現した。山根さんの尽力は、「日本民族」の言葉に動かされてのことだった。
=2001年8月16日の毎日新聞夕刊に掲載したものを再掲載2015.03.10

残留孤児 昭和新山

更新日時 2015/03/10


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