もういちど男と女(38) 一膳飯屋
道具箱には、折りたたみ式ナイフの肥後守(ひごのかみ)が眠っている。30年にもなり、刃にはさびが浮いてきたが、男は捨てられない。
男は苦労人だった。2歳で母を亡くした。父は大阪に出稼ぎに行ったきりで、祖父母に育てられた。中学生で父を捜し出し、一緒に住んだ。家庭は複雑で、早い独り立ちを余儀なくされた。
勤めた会社では30歳を前にして、得意先の接待を任された。行きつけの店は、和服姿の女性のクラブだった。3歳年上の女がよくしてくれた。「若いのに、よう頑張るんよ」。そう言って、座を盛り上げた。接待の場のテクニックも伝授した。「酔わんように、ご飯を食べてから来て」
ある日、女が旅行に誘った。雪景色の温泉だった。雪見障子のある部屋で身を寄せ合うこともなく、夜明けまで話した。
女は身の上を語った。四国出身だった。父を亡くし、母と障害のある姉のために、水商売の世界に入った。使う金を始末し、仕送りを続けた。着物の多くは、同僚に借りているのだと打ち明けた。
大阪に帰ると、2人は時々、一緒に食事をするようになった。出会いの場所は、決まったように一膳飯屋(いちぜんめしや)だった。
3年たった。久しぶりに2人で飲みに出ると、女が言った。「母が大変。帰らなあかん」
女はよく飲み、「どこかに泊まる」と告げた。男はタクシーで送った。車が止まったのは、ラブホテルの前だった。女がささやいた。「ここは1人では入れんのよ」
初めて関係を持った。それまでは、互いに生活の重みを背負い、心と体を抑えていた。
ウトウトしていた男は、妙な気配に気づいた。女が布団の下から肥後守を取り出し、「一緒に死んで」と叫んだ。男が肥後守を取り上げて説得すると、女は泣き出した。
タクシーで女の家まで送った。走っている最中、女はドアを開けて、飛び降りようとした。「まだ、そんなこと考えてるんか」「かんにん、もうしない」。女は何とか落ち着きを取り戻した。
しばらくして、男に電話があった。「四国に帰ります」。帰る便も、連絡先も告げなかった。
「私、分かる?」。次の電話は15年もたってからだった。男は結婚し、子どもが2人いた。「私も結婚して子どもが2人います。母は亡くなり、姉の面倒を見ています」。結婚は本当だったのだろうか。
女の衝動は何だったのか。男は考える。殺すつもりはなかったが、止められない何かがあったのだろう。がんじがらめ生活のせいだったのか。
男は独立したが、商売に行き詰まり、精神的に追い詰められたことがあった。ビルから飛び降りよう。そんな思いが脳裏をよぎった時、道具箱を開けた。女の命を守るために取り上げた肥後守を見た。男は立ち直った。(梶川伸)=2007年2月10日の毎日新聞に掲載されたものを再掲載2015.02.01
更新日時 2015/02/01