もういちど男と女(37) 庭
燃やすことと埋めること。女は庭を見ながら、その違いを考える。
女は離婚して数年がたっていた。1人暮らしなので、会社の仲間と食事に行く機会が多かった。その日もそうだった。
食事が終わると、上司の男が順番に家に送った。最後が女の家だった。「ちょっと寄っていいかな」。男は尋ねた。
上司としては尊敬していた。ただ、男性としては眼中にない人だったせいか、女は家に上げた。
仕事のことや悩みを、男はよく聞いてくれた。「こんなにいい人だったのか」と感じた。夜が明けるころ、男は好きだと言った。びっくりしたが、ほろっともした。
翌日から男は女のもとに寄り、コーヒーを飲んでから出勤した。夜も来るようになった。男は肉ジャガのような煮物が好きだった。女は夕食を用意して待った。
1週間たった。「今日は泊まっていこうかな」。男が言ったのも、女が受けたのも、自然の成り行きのようだった。
毎晩のように愛し合った。午前0時を過ぎて男は帰り、朝8時にはまたやって来た。男のまじめさが、そんな形となった。
男の妻が不審に思うのは当然だった。「何日間か尾行された」と男は打ち明けた。
妻は女の家を突き止めたようだが、押しかけることはなかった。その代わり、1年ほどして、隣県にある妻の実家に男と移り住む手段に出た。
それでも2人は求め合った。1週間に1度は、男が女を訪ねた。それ以外は、家族が寝静まった後の深夜の電話だった。女は会社を辞め、独立しようと思っていた時期で、話は尽きなかった。
もう一つは手紙だった。男はいつも速達で出した。文字だけの触れ合いは、刺激にもなった。手紙は束となった。
そんな関係は4年続いて終わった。最後に男は、女の家に3日続けて泊まった。その最終日に、男は庭で仕事の書類を時間をかけて燃やした。
男からの連絡が途絶えた。女は会社に電話をかけた。数日前に退職していた。女は男の行方を捜した。遠い長野県に転居したことがわかった。女と別れさせようとする妻の思いが、そうさせたのだった。
女は電話をかけた。「家族と別れてすべてをなくし、1人になるには、10倍良いものがないといけないんだよな」。それが男の返事だった。
10年たって、2人は大阪で再会した。いい男ぶりになっていると、女は感じた。しかし、「関係を持てないのは寂しい」の一言を聞いて、男のずるさを垣間見た気がした。
女は家に帰ると、残していた速達の束を取り出した。それを庭に埋めた。燃やすことはできなかった。愛したことを、消してしまうことはできないと思うからだ。(梶川伸)=2007年2月3日の毎日新聞に掲載されたものを再掲載2015.01.25
更新日時 2015/01/25