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もういちど男と女(40) 誕生日

切り絵=成田一徹

 離婚して長い年月がたち、男は50代になろうとしていた。仕事の合間に喫茶店に入ると、女の客と隣同士になった。
 男の2つ折り携帯電話が珍しい時期で、話の糸口になった。別れ際に女は「いっぺん飲みに行きましょう」と言って、電話番号を交換した。
 その日の夕方、女から電話があり、夜のドライブに繰り出した。からくり時計の前に座ると、女は身の上を語った。
 46歳だった。夫や子どもとは、20年も別居していた。出会ってすぐ、普通では言わないことを口にした。そんな女に、男は魅力を感じた。
 よく居酒屋に行った。男の金が尽きかけたころ、女は運転手をしてほしいと頼んだ。女は高級車を持っていたが、左目は光を感じるだけで、運転は無理だった。話がまとまってから、女が大きなスナックを経営していることを知った。「飲みに行きましょう」と誘ったのは、当初は客引きのつもりだったらしい。
 男は女の家で寝泊まりして、女をスナックへ送り迎えした。きっぶのいい女のファンは多く、店は盛況だった。金には不自由せず、食事はほとんど外ですませた。
 男は家庭の雰囲気がほしかった。「家で食べよう。酒のあても食事も作る」。そう切り出したが、女は拒んだ。男はプツンと切れて、家を出た。
 半年たった。女は家に来るように言った。女の50歳の誕生日の4日前だった。男はカップ麺(めん)2つと袋入り即席麺1つを買い、3晩泊まった。
 カップ麺は2人で食べた。滅多になかった家での食事だった。「金ができたら、誕生日のプレゼントをする。何がいい?」「サンダルでええわ」。そんな会話をした。
 「送っていくわ」。誕生日の前日、女は言った。その言葉を聞いて、男は家を後にした。
 誕生日の夜、2人の共通の友人から男に電話があった。「彼女が電話に出ない。家の中で倒れているかもしれん」。カーテンのすき間から明かりが漏れ、ドアの新聞入れからテレビの音が聞こえるという。
 男は女の息子に連絡をとった。自分も合鍵を持っているが、それを使うと、2人の関係が知られてしまう。
 息子はベランダのガラスを割って中に入った。女は台所に倒れ、息を引き取っていた。そばに、丼が落ち、ゆでた即席麺が飛び散っていた。
 「お迎えが来るのを、無意識のうちに感じていたのではないか」。男はそう思えてならない。「自分がもう1日いたら」と、悔いも残る。
 遺品を家族と友人で分けた。男は女の写真を1枚選んだ。もう1つもらったものがある。冷蔵庫の下から、小さく折りたたんだ1万円札が5枚重ねで出てきた。金に不自由していた男への最後の贈り物だったのだろう。(梶川伸)=2007年2月27日の毎日新聞に掲載されたものを再掲載2015.02.22

もういちど男と女

更新日時 2015/02/22


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