もういちど男と女(35) かけ連れ
台風が近づいた日だった。男は四国八十八カ所の二十三番札所、薬王寺のそばの宿で目を覚ました。雨は降っていたが、風はそれほど強くなかった。少しためらった後、意を決して歩き始めた。
男がは54歳の時、5月の連休を利用して1回目の歩き遍路に出た。会社に置いてあった写真雑誌で、遍路の特集を見たのがきっかけだった。「定年になったら行ってみたい」と思い、雑誌をもらって家で保存していた。
離婚して10年以上たっていた。2人の子どものうち、長女は結婚し、2女の短大に入った。どこかホッとした気持ちがあり、定年を待たずに四国を回ることにした。
仕事があるので1度に回ることはできず、4回に分けて巡拝する「区切り打ち」だった。人との出会いがうれしかった。道を外れて歩いていると、わざわざ追いかけてきて教えてくれるような四国の人の優しさにじんときた。2年かけて結願すると、また回ることを考えていた。
2回目は、60歳の定年が機になった。今度は1度で回る「通し打ち」だった。秋の彼岸を過ぎて出発し、順調に歩いたのだが、台風は余分だった。風が強まり、横殴りの雨となった。やむをえず、行程を大幅に縮めて、ホテルに転がり込んだ。
女は30代で離婚した。50歳を過ぎて、歩き遍路の区切り打ちをした。子どもがいなかったので気楽だった。53歳の誕生日に合わせて結願した。
女は2度目の歩き遍路を56歳で始めた。やはり区切り打ちで、その回は薬王寺が出発点だった。台風に出くわし、列車に乗って移動して、早めにホテルに入ったそこで男と出会った。台風の強風が2人を引き寄せた。
遍路同士はすぐ打ち解ける。翌朝、2人で歩き始めた。「かけ連れ」と言う。歩く速さが」違い、道中は1人になるが、宿では一緒になった。
高知県の二十九番国分寺で、女は別れて大阪に帰った。しかし、本当はもっと歩きたい。何度か男の携帯電話にかけて「今どこ?」と聞き、遍路の雰囲気を味わった。
男の2度目の結願は、一昨年11月だった。2人でお祝いをした。神戸のお好み焼き屋だった。
男の家は兵庫県の西部だった。2人は時々会うようになった。遍路をテーマにした映画も見た。やがて、女は聞いた。「家に行ってもええ?」
「年がいってマンションの1人暮らしは寂しい。気を許して話をできる人がほしい」。そんな思いが女にあった。「相手は口上手で、結婚しようというのを待っていたら。私は80のばあさんになる」。引っ越しは昨年3月だった。かけ連れが日々の生活になった。
女は2度目の遍路を中断したままだった。2人で三十番善楽寺から歩き継いだ。再婚の記念でもある。男の方が速い。時々足うぃ止め、たばこを吸って、女が追いつくのを待った。今春、もう1度出かけると結願する。
2人はもう3度目を考えている。その時は別々に歩く。「遍路は非日常の楽しさもあるのに、一緒に歩けば日常と変わらない。宿に着いても、あの人は何もしない。洗濯するのはいつも私」。女はすねるが、遍路の話をしていれば起源がいい。(梶川伸)=2007年1月20日の毎日新聞に掲載されたものを再掲載201.01.05
更新日時 2015/01/05