もういちど男と女(34)会葬御礼
ブーツの好きな男だった。死ぬまでそれは変わらなかった。女はあきれもし、あきらめもしたが、妻の立場としては、最期を看取る役割は果たしたつもりだ。
瀬戸内の小都市で、男は内科医をしていた。母親も医者だった。夫を亡くし、広い敷地に母親と夫婦が別棟に住んだ。
男は仕事の時間と、それ以外をはっきりと分けた。遊びに出る象徴がブーツだった。時には帽子もかぶった。女はそれになじめなかった。
50歳を前にして、男はスナックに通い始めた。粋なスタイルが受けたのか、店の女性も男とのたわいない会話を喜んだ。彼女は10歳も若かったが、休みの日には一緒に出かけるようになった。
紅葉の名所の寺を訪ねたことがあった。ピークはやや過ぎていたし、冷たい小雨が降ってくるような日だったので、人はほとんどいなかった。雨に濡れた紅葉も、しっとりとして美しかった。
散り敷かれた紅葉を踏み、頭の上の赤と黄色の紅葉の大きな傘を見上げながら、男は言った。「こんな時は、キスをする以外にないな」。彼女も応じた。「私もそう思ってたのよ」
紅葉の寺の余韻が残っていたのだろうか。一軒宿の温泉で、熱かんを酌み交わすと、彼女は奔放になった。「千手観音のすべての手で、愛撫(あいぶ)されたいと思うわ」。なまめかしい夜だった。
男は彼女との生活を選び、家を出て県外に移った。ほったらかした仕事は、母親が何とかカバーした。別居は長引いた。母親は息子の罪滅ぼしのつもりか、敷地内に保育所をつくり、女がその仕事を引き受けた。
ある日、女が保育所から自宅に帰ると、つぼや工芸品がごっそりなくなっていた。金に困った男が持ち出したのだった。母親や男が買い集めていたものだった。
何度か同じようなことがあった。金の切れ目は縁の切れ目で、一緒に住んだ彼女も、いつか離れていった。
その間に男の体の中で、がんが進行していた。医師から余命を言い渡され、男が選んだのは家の近くのホスピスだった。それを知らされた女は、パジャマや身の回りの品を持って、何度か病室に通った。そこにもブ-ツがあった。
命の炎がか細くなり、男は頼んだ。「最期は家で迎えたい」。女は言った。「あなたの部屋はありません」
長い男の不在の間に、女は男の母親を見送った。それを機に、新しい家を建てた。自分と子どもたちだけのものだった。
男の葬儀は、女が喪主となってとり行った。あわただしさが一段落して、女は参列者に会葬の礼状を送った。「好き勝手に生きた人でした。きっとあの世でも、ブーツをはいて、気ままに遊んでいることでしょう」(梶川伸)=2007年1月13日に掲載されたものを再掲載2014.12.31
更新日時 2014/12/31