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もういちど男と女(30) 永遠の人

切り絵=成田一徹

 午前8時になると、携帯電話に男からのモーニングメールが入る。長い文面に、いつもうれしい言葉があった。「永久(とわ)の人」。その一語を確認して、女も返信した。そんな毎日の5年間だった。
 夫を亡くして10年以上過ぎた時、女は子どもの家に近いマンションに居を移した。新しい土地でフラリと訪ねたのが、ダンスとカラオケの喫茶店だった。店に入ると、赤いドレスに着替えた。
 ハイカラーの白いシャツで男が現れ、ダンスに誘った。おしゃれで、踊りは上級者だった。ハンサムな男との出会いに、女は舞い上がった。
 最初はダンスの相手だった。やがてドライブに誘われるようになった。次は携帯電話のプレゼントだった。翌朝からメールが届くようになった。
 男は8歳年下だった。離婚していたが、家に出入りする女性がいた。それを知り、女は深入りはしなかった。
 あるダンスの帰り、車で送ってもらう途中に、女は敷物を買った。「重いから、中まで運んであげる」と、男は言った。
 女はちゅうちょした。夫の死後、男性を家に入れたことはない。それを許すと、男との仲が深まりそうで怖かった。
 男は巧みだった。「うまいソーメンをつくってあげる」。女は心の鍵をはずした。男は台所でソーメンをゆで、野菜と一緒に炒めた。
ソファに並んで座って食べた。ミョウガが入っていたのを、女は鮮明に覚えている。後片付けをして座り直すと、男の手が伸びた。抱き寄せられるのを、女は拒まなかった。「女っぽさがなさそうだったので、試してみたかった」。後で男は冗談めかして話した。
 男は仕事の関係で、昼間の3時間が自由になる日があった。その時間を、女の家で過ごした。男は愛に積極的だった。
 メールには、殺し文句がちりばめられていた。「お前の一生涯のヘルパーになる」。年上の女が、ホロリとなることを見越していたのだろう。
 メールがあだになった。男が携帯電話を自宅に忘れたことがあった。家に出入りする彼女が、メールの履歴を見た。その直後、男は女へのメールを間違えて彼女に送った。彼女 は激怒した。
男の不用意さを知り、女は「別れる時期がきた」と悟った。直感の通り、メールは途絶えた。「落ち着いたら、ダンスのご指導をお願いします」。最後に送られてきた文面だった。
 「モーニングメールは一日の輝きでした。一生の宝物とします」と女は返した。「今日の交信で終わりたくありません」とも書いた。
メールの再開はない。携帯電話には、2人の膨大なやりとりが残る。「永久の人」はテクニックだったのだろうが、消すつもりはない。(梶川伸)=2006年11月25日の毎日新聞に掲載されたものを再掲載2014.11.30

モーニングメール

更新日時 2014/11/30


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