もういちど男と女(27) 結婚歴
独身を通した女、とみんなが思っていた。20年来の友人でさえも。定年を控えて人生の節目と感じたのか、女は隠してきた結婚を語った。
箱入り娘で育った。働きに出るなど、親が許さなかった。見合いも当然のように準備された。
男の親は、ちょっと知られた会社の前社長だった。女の家族は、いい話だと手放しで喜んだ。
何度か出会ううち、女は違和感を覚えた。男はキスをすることはおろか、手を握ることもなかった。そうしてほしい、というわけではないが、何か変だと感じた。
男は金を持ち歩かなかった。これも腑(ふ)に落ちなかった。支払いは、女の役目だった。
大阪で会って、所持金を使いはたしたことがある。大津まで帰る電車賃に困り、男の指示で質屋に行った。祖母にもらった腕時計を入質した。
女は「気が進まない」と、両親に訴えた。わがままだと映ったのか、親は聞く耳を持たなかった。「新しい生活が始まれば違う」という説得に負けて、その日が来た。
結婚披露宴はホテルであった。宴の最後に、男があいさつに立った。男はカジュアルな焦げ茶色の上着に着替えていた。
女は出席者を見渡して、1人の体格のいい男性に目がくぎ付けになった。男と同じ上着を着ていた。すぐにピンときた。同性愛の恋人だと。
新婚旅行には行かなかった。体調が悪いと断って、空港から実家に帰った。しかし、親は分かってくれなかった。
婚約時代と同様、何もない新婚生活が東京で始まった。結婚届を出さないことが、唯一の抵抗だった。男にとっても、都合がよさそうに見えた。しかし、体裁を重んじる両方の親にさからえなかった。3カ月後、結婚届を出した。女は、それが今でも悔いとして残る。
地獄の生活だった。女は車を飛ばして、何度も実家に帰った。左腕にカミソリを当てたこともある。ある日、実家から戻ると、マンションの住人が言った。「奥さんが留守の間に、男の人が来ていましたよ」
女が部屋に入ると、一つの布団の上に、枕が2つ並べてあった。女の親もやっと納得した。もう、体裁も何もなかった。男の親の元に出向き、離婚を申し出た。男の親は謝り、離婚が成立した。
女は勤めに出た。若い男性が集まる職場だった。思いを寄せられ、自分も心が動いたことがあった。思い留まった。精神的にも肉体的にも実態のない結婚ではあったが、戸籍上は残っている。過去を話すと、相手に後を向かれるのではないかという恐怖心が、ブレーキをかけた。
職場では、若い人たちの悩みや恋の話の聞き役である。定年後、嘱託として残れる制度がある。できれば、お袋役を続けたいと思っている。過去は閉じ込めたまま。(梶川伸)=2006年11月4日の毎日新聞に掲載されたものを再掲載2014.11.05
更新日時 2014/11/07