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もういちど男と女(21) 仲間

 男の携帯電話が鳴った。女は言った。「脳の腫瘍(しゅよう)で、あした手術することになりましてん」
 女ばかりがしゃべった。「最後まで迷惑をかけて」「世話になった人に、順番に電話をしてるんですわ」。話していたのは2分か3分か。電話が切れて、男は後悔した。「なぜ、もっと長く話さなかったのだろう」
 男は1泊2日ずつで巡る遍路の先導役だった。女はその一員だった。女は歩くのが不得手で、八十八カ所を2巡する間に、4回もダウンした。そのたびに、仲間が肩を貸して助けた。
 男は毎回、女のことが気になった。「大丈夫?」と、声をかけた。気になるのは体調のことではあったが、「恋人みたいなもんや」と、仲間に語ったことがある。
 女は父の後を継いで、工場経営に携わった。バブルが弾けてからは、金策に走り回った。仕事に懸命で縁に恵まれず、独身を通してきた。
 遍路旅に参加して、女に明るさが出た。仲間の男性と話し、一緒に歩くのは、60歳を過ぎた人生のちょっとした彩りでもあったのだろう。
 酒は好きだった。珍しい酒を持参しては、遍路の宿で酌み交わした。飲むと、ほおを染めた。男は面白がって、「酔芙蓉(すいふよう)とあだ名をつけた。朝に白く咲き、夕方に赤く変わってしぼみ、翌日に散る花になぞらえた。
 手術から間もなく、男は容態を尋ねるために、女の会社に電話を入れた。女が電話に出た。身の回りのものを取りに帰っていた。偶然だった。
 「病室に押し花を置いてますねん」。女は言った。男は野の花を摘んで押し花にし、紙にあしらって、100円の額に入れたものを作っていた。遍路仲間にもプレゼントした。それを大事にしてくれていた。
 しばらくして、男はまた会社に電話をした。偶然が重なり、女が受話器を取った。別の病院でも手術を受け、元の病院に戻る前に、ちょっとだけ寄ったのだった。「手紙を書きたいんやけど、漢字が出てこんで」と、病気の影響を話した。
 次の電話は、女の側からだった。義理の妹からのメッセージが、留守番電話に残っていた。「亡くなりました。連絡してほしいと、姉から頼まれていました」
 葬儀には、遍路仲間が参列した。男は棺(ひつぎ)の中を見た。太り気味だった体は、スマートになっていた。顔はほんのりと赤みがさした死に化だった。男は足元に、新しい押し花を納めた。遍路仲間は全員で、般若心経(はんにゃ、しんぎょう)を唱えて送った。
 女が病床で書いたメモのコピーを、義妹が手渡した。男と遍路仲間にあてたものだった。「いつも迷惑と話題を提供してきましたが、もう世話をしてもらう事もございませんよ」。文末には署名があった。「酔芙よう」(梶川伸)=2006年9月9日の毎日新聞に掲載されたものを再掲載2014.09.20

酔芙蓉

更新日時 2014/09/20


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