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もういちど男と女(20) 同苦  

切り絵=成田一徹

 男が亡くなったと、電話があった。男の息子からだった。女はその夜、一睡もできなかった。
 翌日になって弔問した。焼香の際、男の妻と目が合った。不意に、「同苦」という文字が頭に浮かんだ。「私と同じように、あなたも苦しんだでしょう」と、目が語っているように思えた。
 女が結婚したのは、高校を卒業して間もなくだった。しかし、夫とは生き方が違った。夫はマージャンをした翌朝、「腹が痛いので休む、と会社に電話をしてくれ」と頼むことがあった。女は、そんな夫がいやだった。
 夫婦が完全に崩壊したのは、40歳を過ぎたころだった。夫は彼女をつくり、駆け落ちをするようにして、女の車に乗り家を出た
 そんな時、知り合いの社長がスナックに誘った。その席に男が同席していた。知ってはいたが、親しく話すのは初めてだった。社長は先に帰り、二人はへべれけに酔い、ホテルに行った。シャワーを浴びたが、酔いが肉体をなえさせ、結びつきは未遂だった。
 男には家庭があった。ホテルからあわてて帰ったせいか、時計を忘れていた。その時計を返すため、女が社長に連絡を取ると、もう1度、会う機会を設けてくれた。
 男はタクシーに乗り、「1番近いホテルに」と頼んだ。声が恥ずかしそうだった。その男も経営者だった。社長ともなれば、こんな場面には慣れているのだろう、と思っていたから意外だった。
 女は男から、商売というものを教えてもらった。2人はマンションを借り、互いに家庭との二重生活となった。男にがんが見つかっても、1年間はマンションでの生活も続けた。女は病身の面倒は自分がみると思ってはいたが、それはおこがましいことだった。
 男は妻と子どものもとに帰った。亡くなるまでの5年間に、会ったのは1度きりだった。再会場所は、男が通う病院の近くの店だった。時々立ち寄る店だと聞きていた。女は何度か店を訪ね、男の病状が伝わっていないか尋ねた。そんな夜は、やけ酒をあおった。
 女に男から年賀状が届いた。脳梗塞(のうこうそく)も起こしてリハビリ中と書いてあった。翌年は、「いよいよリハビリにもコンがなくなりました」と記されていた。年賀状を仏壇に置いて、手を合わせて祈った。その年賀状が、男からの最後の連絡だった。
 男の妻はすべて知っていた、と女は思う。亡くなった時の電話は、妻がかけさせたのではないか。男が死を予感して、妻に頼んでいたに違いない。しかし、妻が女を許せるはずもない。そこで息子に、身代わりになってもらったのだろう。
 妻の目に見た「同苦」の意味を推測し、女は静に頭を下げて、男の家を出た。(梶川伸)=2006年8月26日の毎日新聞に掲載されたものを再掲載2014.09.16

もういちど男と女

更新日時 2014/09/16


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