もういちど男と女(15) チャット
部屋の家具の陰から、男が姿を見せた。トレーナーのラフなスタイルだった。女は黄色のTシャツで、自分でも「若づくりかな」と思っていた。
「何をしているんですか」と女は聞いた。「隠れんぼみたいなことですよ」。2人の出会いは、そんな会話で始まった。
男は「福岡に住んでいて、35歳で既婚」と自己紹介をした。女も「私は少し上で既婚。神戸です」と応じた。少しためらった後、38歳と告げた。「また会いましょう」の言葉で、初日は別れた。午後9時過ぎだった。
インターネットの中の会話、チャットである。互いに髪型や服装を選び、人形を動かすようにして出会う。
翌日の同時刻、2人は喫茶店で再会した。「すごく寂しかったよ」。たった1日の空白なのに、男は言った。それどころか、「どこかで実際に会いたい」と口にした。
「何でそんなことを平気で言えるのですか。本気ですか」。女は聞いた。「本気だよ」。男の会話の運びはうまかった。
女は専業主婦だった。子育ての一番忙しい時期は過ぎていた。しゅうと、しゅうとめを送って、一段落した気持ちがあった。何かを求めていた。
女はパソコンで、架空の社交場に入り込んだ。夫は「危ない出会い系サイトだ」と忠告した。「会話を楽しんでいるのよ。危険なことはしない」と、女は言い返した。
パソコンの密室は魅力的だった。相手はみんな、甘い言葉をささやいた。「会いましょう」という言葉も常套句(じょうとうく)だった。「自分がしっかりしていれば、言葉のわなにはまらない」という自信はあった。
だが、その男はどこか違った。「君とは会うべくして会った」。大げさな表現もするが、「愛してる。会いたかった」と言われると、「私もよ」と返してしまう。
「会社と家との往復で、面白くない」。男の告白は、どこか寂しさを引きずっているように感じられ、自分の生活に重ねてしまう。「奥さんともうまくいっていないみたい」と、都合のいいように推測してしまう。
どんな調子で語っているのか、パソコンでは分からない。芝居に違いない。それでもいい、と思ってきた。4日か5日に1回、午後9時から30分間の言葉だけのアバンチュールなのだから。
しかし、具体的な話には心が揺れる。「温泉に行こう」。場所も特定してきた。「行けたらいいね。楽しいやろね」
どんな人か会ってみたい。会うかもしれない。女は危険な水域に入ったことに気付いている。「チャット内だけで会いましょう」と断ってはみた。それでも心は揺れ続ける。会うなら、本当の年齢を告げてから。10歳もごまかしている。その後ろめたさが、最後のブレーキになっている。(梶川伸)=2006年7月22日の毎日新聞に掲載されたものを再掲載2014.08.17
更新日時 2014/08/17