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もういちど男と女(13) ストレス

切り絵=成田一徹

 がんの治療のため、男は入院した。女が見舞いに行くと、ベッドの枕元に、ハンカチが置いてあった。真っ白で、2方の端に、細かい花あしらってあった。誰が持ってきたかは分かっていた。
 会社勤め同士が結婚した。ほどなくして、男の母がかっぽう料理店を始めた。しかし、うまくいかず、半年で店を閉めた。男は女に頼んだ。「お前やってくれるか」
 小さなおでん屋がスタートした。女は若く、素人っぽさも受けて、なじみ客が増えた。女は「家業」と考えて頑張った。
 一品料理を作っておくのは、男の仕事だった。店を開けると、男は帰宅し、あとは女が引き受けた。店は順調に年を重ねていった。ただし、忙しかった。女は酒の環境に育ったわけではない。客の顔色を見るのにも、神経を使った。ストレスがたまっていった。
 男にしても似たようなものだった。好きな釣りで遠出をして、気分転換を図った。それでも、開店前の準備の時に、イライラが募って、女にあたることが増えた。
 夫婦の仲は冷えていった。2人で出かけることは少なくなった。女は男との日常が辛くなった。男が自分から離れていってくれてもいいもいい、とまで思い詰めた。
 そんな折、男が知らない女性を車に乗せて走っているのを見かけた。女はそれを機に、一緒に車に乗るのはやめた。
 会話はなくなった。家にいても、女は男の部屋には行かなかったし、自分の部屋にも男を入れたくなかった。店で開店準備をする時間も、一言も発しないようになった。用事があれば、メモに書いておく。男は夫ではなく、料理人。そう割り切る方が、女にとっては楽だった。
 男が彼女の家で過ごす時間は長くなった。その家を、女は突き止めた。嫉妬心からではあったが、家が分かると安心した。男の安らぎが、そこにあると感じた。「自分にはできないことを、彼女はやってくれている」と思うと、感謝の気持ちさえわいてきた。
 男が軽い脳梗塞(のうこうそく)を起こしたことがある。病院に通いつめたのは、彼女だった。男への情熱を、思い知らされた。そのことで、女は言葉を荒げることはなかった。「私は男になったんや」
 今回のがん治療もそうだった。枕元のハンカチを見て、むかむかとした不快感が沸かないではない。ただ、お守りのように大事にしているのが見て取れた。「ハンカチが守ってくれているなら、それでいい」。それが、男の病状を思いやる女の気持ちだった。
 「私が頼りないから、おれがちゃんとせなあかん、と思って、店の裏方に徹してくれた。こんな人おらんわ」。見舞った帰りに思った。「生まれ変わっても、この人と一緒になってもええな」(梶川伸)2006年7月8日の毎日新聞の掲載されたものを再掲載2014.08.07

もういちど男と女

更新日時 2014/08/07


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