もういちど男と女(10) 寂しがり屋
寂しがり屋だと、男は思う。3度目の結婚も、寂しさのせいだったのかもしれない。
仕事には自信があった。会社勤めの時は、営業の実績が評価された。独立してからは、国から資金融資を受けることに成功し、仕事に情熱を傾けた。経営手腕を買われて、いくつかの会社の社長も務めてきた。
1度目の結婚は、23歳と若かった。子どももできた。しかし、30歳を過ぎて離婚した。融資金の返済に懸命だった時期だった。妻はなじった。「あなたは私より、仕事の方が大事なのよ」
2番目の妻は、コーヒーショップを開いていた。会社が近く、よく通った。そのうち、マイ・カップを置くようになった。店には10種類ほどのコーヒー豆が用意してあり、好みの豆をひいてもらっては飲んだ。
寝起きの顔を見せない妻だった。自分が先に出かける時は、男の朝食用に、おにぎりを作っておいてくれた。働き者で、コーヒーショップも人気があった。それでも、「お金がたまったら、仕事やめようね」と、何度か語りかけてきた。後で思えば、体の変調を感じていたのだろう。
経済的余裕が生まれ、大阪の山手に家を建てた。小さな畑もつくった。「会社をやめなさい」。妻は言ったが、それでも男は察知できなかった。
妻は車を何度かぶつけてきた。一緒にゴルフに行って、倒れたこともある。男は貧血だろう、と軽く考えていた。
小脳が縮まる病気と診断されて仰天した。治らない病気だった。闘病生活18年。最後の10年近くは寝たきりだった。「金を全部突っ込もう」。男はそう決意したが、死は避けられなかった。
仕事は順調でも、1人の生活は味気ない。友人と飲みに行っても、後で寂しさが襲ってくる。胆嚢(たんのう)を取る手術をしてからは、気も弱くなった。
友人の話に乗ったのは、そんな時だった。「どやねん。会社を経営するのに独身はいかん。何とかならんのか」
それとなく紹介された女は、離婚して娘が3人いた。17歳も年下で、美容の仕事をしている。ビールを飲みながら、人生の先輩、後輩として、仕事や人生の相談に乗っているうち、「定めやな」と感じた。女もそれらしい信号を送り、3度目の結婚に踏み切った。
女の年齢は離れていて、3人の子どもも含めて娘4人と暮らしているような結婚生活が始まった。マイペースの生活が一転した。糸の切れた凧(たこ)のような自由さはなくなった。糸はしっかりと握られている。
結婚前は、2人で酒を飲んで酔っ払っても、「さよなら」と言って別れればよかった。「今は連れて帰らなあかん。責任ができた。結婚して1番困ったことや」。そう言う顔が笑っている。(梶川伸)2006年6月17日の毎日新聞の掲載されたものを再掲載2014.07.20
更新日時 2014/07/20