もういちど男と女(09) 白無垢
「結婚しない、と頑張ってるわけじゃないのよ」。友人にそう話したことがきかけで、女に縁談が持ち込まれた。
東京で会社勤めをしていた。ダンス、古文書、雅楽。新聞を見て、やりたいことを探す名人で、仕事以外も結構忙しかった。1人で生きていくことも、自然な流れのように感じていた。ただ、「最後は兄弟にみてもらうのか」と、漠然とした不安はあった。
相手は北陸の山間にある小さな寺の住職で、再婚だった。どこで会うか、となった時、女は言った。「結婚したい方が会いに行くべきよ」
男が東京に出向いた。女はこの人がいいと思ったわけでもなく、いやだと思ったわけでもない。「これもいいかな」と考えて、結婚が決まった。
式の前日、女は準備のために寺を訪ねた。タクシーに乗り、行き先を告げた。すると、運転手がしゃべり始めた。「明日、住職が結婚式をするんですよ。60歳ですよ」
「よっぽどいい男なんでしょう」。女は言ってやろうかと思った。「花嫁は私で、50歳」とも。小さな町で、その結婚式は話題になっていた。
式では、花婿は住職なので袈裟(けさ)を着る。50歳の花嫁は何を着るのか。それも注目の的だったらしい。当日は、近所の人に渡す菓子が足りなくなるほど、花嫁を見にきた。
男は女に、すそ模様のある黒の紋付きの着物を贈っていた。それを着るものだと疑わなかった。
女が着たのは、白無垢(しろむく)だった。初めての結婚だから、白無垢を着るのに、何の不思議もない、と感じていた。「20歳も50歳も同じよ」
女にとって、少し遅い新婚生活が始まった。男は女を「はるみ」と名前で呼んでいたが、あだ名の「はみちゃん」に変わった。女の実家で口にして、大笑いになったことがある。
二人でドライブをしていると、高い石垣に赤い花が咲いていた。「きれい」と、女は口にした。男は石垣をよじ登り、花を摘んできて渡した。年も考えずに、そんなことをする夫だった。
これも、結婚間もないころのことだ。地方の新聞には、金婚式を迎えた夫婦の名前を載せるコーナーがあった。女が珍しそうに見ていると、男が話しかけた。
「金婚式をしようか」「何歳になると思うの」「110歳」「私は100歳ね。じゃあ、しましょうよ」
今年、19回目の結婚記念日を迎えた。その間に、女は僧籍を取り、得度もし、本山で教えることもできる資格も得た。「仏さまのおかげで、いいご縁をいただいた」。女は感謝している。
年のせいか、男は酒が弱くなった。小さな缶ビール1本を2人で分けて、記念日の乾杯をした。金婚式まで、あと31年になった。(梶川伸)2006年6月10日の毎日新聞の掲載されたものを再掲載2014.07.11
更新日時 2014/07/11