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もういちど男と女(02) 最後の電話

切り絵=成田一徹

 朝起きてみると、夫は亡くなっていた。「別れ際に、何か一言でも声をかけたかった」。女は心の底に、落ち着かないものを抱いていた。
 夫には、「男が男にほれた」と言ったほどの友人がいた。互いにワンマンで、飲んべえだった。付き合いは家族ぐるみだった。
 その男を訪ねて、女は大阪から新千歳空港に飛んだ。男は大阪を出てから消息がつかめなかったが、やっと北海道に居を構えていることが分かったからだった。
 話は尽きなかった。長い闘病生活と看病の話もした。「あんた、よう頑張ったから、旅行にでも連れてったろか」。豪快な言い方と優しさは、昔と変わらなかった。女はうれしかった。夫の病気がよくなれば、夫婦で旅に出るのを楽しみにしていたので。
 伴侶を失くした者同士の二人旅が始まった。年に2回から3回。「近い所はいつでも行けるから」。そう言って、女は北海道旅行をねだり、男が計画を立てた。
 男も女も持病があったので、行き先は温泉が多かった。時には1週間も留まり、雄大な景色に抱かれて、のんびりと湯につかった。
 「仲のいい夫婦ですね」。旅先で何度か声をかけられた。宿に着いて、女は聞いた。「うれしいやろ?」。男は素直に言った。「うん、うれしいな」
 二人は精神的なものを超えた深みに入っていくことはなかった。女の夫は、ある時期から男性的な能力を失った。そんな体験が影響しているのかもしれなかった。男には「大切な友だちの妻」という意識が働き、一歩引いたところがあった。
 しかし、「男と女の仲」と見る視線を感じなかったわけではない。特に、大阪では。
 北海道は違った。大阪のように、せこせこはしていなかった。大自然の包容力が、ロマンチックな関係を長続きさせた。
 初めて関西を旅したのは、10年近くたってからだった。別れ際に男は頼んだ。「5分でもええから、しょっちゅう電話してや」
 女は毎晩のように電話をした。1週間目、その日に限って男はしゃべり続けた。1時間が過ぎたころ、電話の子機がポトリと落ちる音がした。女は何度も名前を呼んだが、返事はなかった。
 翌日、女は男の家族から、前夜の出来事を知らされた。孫が「おやすみ」を言いに行くと、男は血をはいて倒れていた。救急車で病院に運ばれたが、意識を回復しないまま、息を引き取った。
 女は書きためた般若心経(はんにゃしんぎょう)100枚を速達で送った。写経はかろうじて葬儀に間に合い、棺(かん)に納められた。男の家族は電話でそのことを伝え、言葉を継いだ。「おばちゃんのおかげで、10年間長生きさせてもらった」(梶川伸)2006年4月15日の毎日新聞夕刊に掲載されたものを再掲載2014.05.27

もういちど男と女

更新日時 2014/05/27


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