もういちど男と女(01) 二目ぼれ
「交際したい」。友だちを通じて気持ちを伝えられたのは、女が小学5年生の時だった。相手は中学1年生。それから8年間続いた初恋だった。
山陰の小さな町では、まだ「逢(あ)い引き」という言葉が使われていた。昼間は知らん顔を決め込んだ。女が自転車で走ると、男は「ピー」と指笛を鳴らすくらいだった。
日が落ちると、学校の廊下で一緒の時を過ごした。男はハーモニカを吹き、ギターを弾いた。1度だけ、唇を重ねたことがあった。それだけのことだが、幼かった女は、赤ちゃんができるかもしれないと心配し、押し入れにもぐり込んだ。
町のあちこちに、二人のイニシャルが落書きされるようになった。女の親は相手の家に怒鳴り込んだ。男はくたくたに疲れ、町を捨てた。
やがて女は結婚した。いや、させられた。「結婚して死んでやる」。心の中で叫んだ。自暴自棄にも似た結婚だった。町からも離れたが、買い求めたハーモニカとギターが心の支えだった。
女の結婚生活は病気の連続だった。「死んでやる」のばちが当たったのだと思っている。夫は病弱の妻をいたわり、毎日5分の遅れもなく仕事から帰ってきた。「素晴らしい人だった」と、感謝の念は消えない。
40年近い結婚生活のあと、夫は亡くなった。3回忌も過ぎ、女の心に空洞が広がった。ふと町を訪ね、友人を介して、男へ連絡をとった。男から電話があった。「会いたい」。女はそう言うのが精一杯だった。
男は名古屋から駆けつけた。半世紀近くを経て再会した。男は数年前に離婚して、一人暮らしだった。二人は昔の逢い引きの場所を巡った。
その夜は都会のホテルで、ツインの部屋をとった。チェックインのあと、男は言った。「妻と書きたかった」
女はセピア色の写真を見せた。セーラー服で自転車に乗っていた。男が撮ったものを、大事にしていた。「指笛、まだ吹ける?」。男は人さし指を口に含んだが、息が漏れるだけだった。それが、時の流れを物語った。
「結婚したら?」「あんたとならするけどな」。そんな話をして、一晩を過ごした。ベッドは並んでいたが、男は手も握らなかった。「お前の顔だけでええわ」
それから時々、デートをするようになった。幼い日が一目ぼれなら、いまは「二目ぼれ」だと、女は思っている。カラオケの帰り、1度だけ手を握り、キスをした。血が逆流する気がした。
何となく、二人は1年間という期間を設けた。青春の8年間の交際を、期間を縮めてたどり直している気がしている。
二人は月に1万円ずつ積み立てている。再会1年目の記念日に、旅行をするために。その日が間もなくやってくる。(梶川伸)2006年4月6日、毎日新聞夕刊に掲載されたものを再掲載2014.05.24
更新日時 2014/05/25