もういちど男と女(03) 桜
奈良・吉野の山桜は、春も盛りになってから山を登っていく。下千本から中千本、上千本からさらに山深い奥へと。
「奥千本の西行庵に行ってみたい」と、女はねだった。夫を亡くしてから、旅はいつも1人だった。旅先の食事はホテルの中と決めていた。やっと酒を共にできる男友だちができた。居酒屋へ付き合い、甘える言葉も口にできるようになった。
男にはためらいがあった。西行の出家について、なまめかしい説を思い出したからだ。北面の武士だった西行は、花見の警護についた。ところが、警護すべき女人の誘いで、桜に包まれて一夜を共にした。やがて出家し、桜の歌を詠み続けたという。そんな一途さを思うと、普段の生活から離れることに、裏切りの後めたさがあった。
「吉野山花のさかりは限りなし青葉の奥もなほさかりにて」。庵に歌が記されていた。現実には、4月の半ばだというのに、咲き初めだった。
歩いて下って行く。上千本は満開だった。女は白い上着に白いズボンで、桜に溶け込んでいた。「山桜は健康的な美ね」。女は妖艶(ようえん)な染井吉野と対比をした。男はくぎを刺された気がした。
中千本は落花、下千本は葉桜に近かった。人生も半ばを過ぎた男は、忍び寄る命のかげりを、桜と重ね合わせた。雨上がりで、泥がはね返って、女のズボンのすそにしみを作っていった。それが、肌に浮かび出る衰えの証拠のようにも見えたのが不思議だった。
土産物屋に寄り、桜をあしらった杯を求めた。「この杯で、お酒を飲みしょう」。女は提案した。自分が泊まるホテルの部屋が、二人きりの花のうたげの場となった。
桜酒を口に運ぶうち、女のほおは山桜よりも染井吉野に近い色に染まっていった。二人は桜の幻想に酔った。うたげが果てると、男はまた日常に戻っていった。
それから男は会うたびに、新しい桜の杯を用意する。女はホテルを取る際に、「桜子」の名を使うようになった。数カ月に1度の非日常。夏も秋も冬も、桜の幻想の中にいた。「私はあの世なんてないと思うのよ」。愚にもつかない話が、酒のつまみだった。
女のマンションの食器棚に、桜の杯が増えていく。友人が集まって食事をする時、テーブルに杯を並べることがある。以前は日本酒を口になかったので、友人は桜ずくしに目を丸くする。
「お酒に目覚めたのよ」。そう言うのが楽しい。裏の物語に、友人は気づかない。そんな秘め事を持っていることもうれしくて、気取られないように杯に唇を寄せる。
杯は食器棚に納まらなくなった。女は時折、しまったものも出して数えてみる。愛し合った数でもあるし、過ぎ去った時の重なりでもある。(梶川伸)2006年4月22日の毎日新聞夕刊に掲載されたものを再掲載2014.05.29
更新日時 2014/05/29