能勢街道をゆく(21) 川西市・鼓滝駅~山下駅
能勢電鉄の鼓滝(つづみがたき)駅をスタートした。駅の名前からして、近くに滝があるはずだ。駅の人に聞いてみようとしたが、無人駅。そこで、改札口で数人の乗客に話しかけてみた。すると、猪名川に小さな堰(せき)のような場所があって、水が「トントン」と音をたてて流れ落ちていたので、「太閤さん(豊臣秀吉)が名づけた」という。ただし、当時の猪名川は、別の場所を流れていたそうだ。
国道173号に出ると、鼓滝の歌碑があった。「音にきく鼓が瀧(たき)をうちみれば川邊(かわべ)ニさくやしら百合(ゆり)の花」(歌碑の字のまま)とあり、「西行」と彫られている。西行は平安時代の歌人。秀吉よりもずっと以前の人なので、「太閤が名づけた」というのはおかしいのだが、それも愛敬。秀吉は能勢街道を通って有馬温泉に行ったとも伝えら手いるのだから、何でもかんでも結びつけられる秀吉の人気に軍配を上げてもいいだろう。
西行の逸話は次のようなものだ。西行が和歌の道を志して間もないころ、猪名川のほとりで滝をながめていると、歌が頭に浮かんだ。「はるばると鼓が滝にきてみれば岸辺に咲くや白百合の花」。やがて西行は眠りについた。目をさまし、民家があったので宿を頼むと、老夫帰と孫娘らしい幼子が快く迎えてくれた。そこで、鼓が滝の歌を披露した。老夫婦と幼子は「音に聞く鼓が滝をうちみればかわべに咲くや白百合の花」に変えてはどうかと言い、西行は未熟さを反省した。眠りから覚めると、住吉大明神のほこらの前だった。夢の中でのことだったが、以後歌の道に精進したという。
173号を横断すると、猪名川だった。川にかかる橋の名は「銀橋」。橋のたもとの草むらにプレートが隠れていて、読んでみた。橋は1934年に建設された。当時、大阪に銀色のバスが走っていて人気があり、銀橋としたという。現在の橋はステンレスを多く使い、銀色に輝いている。
橋から猪名川を眺める。瀬がサワサワという音を響かせているが、堰のような場所はない。トントンという音も聞こえなかった。対岸へ渡ると、河原に水位を計る大きな物差しが立っていて、道路面は9メートルほどの高さだった。
川西市内の能勢街道のルートは、市役所に尋ねても、はっきりしない。国道173号がおおむね合致すると推測して、国道を北上していく。国道沿いにスーパーが2店相次いであり、のぞいてみた。どちらも「川西のイチジク入荷しました」と宣伝してあり、客の女性に聞くと川西はイチジクの産地だそうだ。
多田駅に寄る。ここも無人駅。駅前に「多田御社道」と彫られた道標があり、明和七年の文字も刻まれ、1770年に立てられたことがわかる。道標に従って多田神社を目指す。これまでの街道歩きで、「多田院」という文字を道標で何度か見た。
猪名川に沿って行く。弘法大師像や石仏を納めた堂の前を通り、桜の並木を歩く。イチジクワインを売っている店もあった。多田公民館の前には、古江浄水場でも見た「実績浸水深」の表示板が設けてあった。1960年の台風16号の際に浸水した水位を占めていて、深さ1.1メートルだった。この公民館では以前、講演を頼まれたことがある。ちょっとあいさつに寄った。暑い日だったので、冷えたお茶がおいしかった。冷やしたペットボトルのお茶までもらった。
多田神社に着く。源満仲をまつり、清和源氏発祥の地として史跡に指定されている。齊木竜也・権禰宜(ごんねぎ)に話を聞いた。多田神社は、多田院という寺だったが、明治初めの廃仏毀釈で神社になった。街道で見て見てきた道標の「多田院」という表記の理由がわかった。後で訪ねる多太神社は以前「ただじんじゃ」と言ったが、多田神社との兼ね合いで、「たぶとじんじゃ」と呼ぶことになったそうだ。
神社は勝負の神様として知られている。「阪急ブレーブスは毎年、祈願に訪れていた」という。横綱の貴乃花や曙も土俵入りを奉納し、記念植樹をしている。
境内は鎮守の森になっていて、ムクロジの巨木もある。実は羽根つきの羽根に使われるそうだ。江戸時代に薩摩藩の島津家から贈られた唐ツバキ(学名はキャプテンロー)は国内最大級の古木で、4月上旬に花をつける。
国道に戻ると、兵庫県猪名川町の福井牧場直営の精肉店がのぼりを立てていた。コロッケを買う客がいて、つられて買ってしまった。1個75円。揚げたてのアツアツを食べていると、「いろんなものが値上がりしているので、80円にせんといかんかな」と、店の主人が嘆いた。
多太神社も訪れてみた。近くには石仏を安置する堂がある。境内には道標があり、「右○○みち」と彫られていたが、肝心の○○の文字が読めなかった。
能勢電鉄の本社前を北上する。国道の右手に「三ツ矢サイダー」と書かれた塔が立っていた。この日の最後に訪れて川西市郷土館でたまたま「三ツ矢サイダーと川西展」が開かれていて、三ツ矢サイダーがここで生まれたことを知った。
畔野(あぜの)駅のそばで、国道をそれて頼光寺に寄った。アジサイで有名な寺だが、この時期は参拝者はいなかった。
国道を進むと、「ここからはじまる夢の道 新名神高速道路 この位置を通ります」と書かれた表示板を見た。「夢の道」は夢のままで終わるのかもしれない。
昼食のために、「伊和正」といううどん屋に入った。斬新なメニューが多い店で、1番人気の「トリから揚げ黒甘酢ぶっかけ」を頼んだ。その名の通り、トリのから揚げを甘酢に漬け込んだものがうどんの上に乗せてあり、葉ものの野菜やキュウリが添えてあった。その上からだしをかけて食べる。新感覚のうどんだった。
一庫(ひとくら)ダムまで3.5キロの標識を見た。街道はさらに京都方面に向かうが。街道歩きはここまでとし、川西市郷土館を終点とした。郷土館は銅の精錬をしていた旧平安(ひらやす)家の屋敷を使った施設。敷地内には精錬所跡や、大正時代の洋風建築で移築してきた旧平賀邸、川西を愛した画家、平通武男のアトリエを再現して建物などがあった。能勢街道のルートを聞いてみたが、ここでもはっきりしたことは分からなかった。(梶川伸)=おわり=
=地域密着新聞「マチゴト豊中・池田」第29号(2011年9月8日)
更新日時 2011/09/01